陸奥・陸中 盛岡城



ファイルNo4181

東北屈指の石垣の城

            本丸東側石垣・本丸門石垣            

@ もりおかじょう 
  別名 不来方城(こずかた)  

A住所:盛岡市内丸1
B目標地点:盛岡城跡公園
C形式:平山城  D比高:20m 
E現況:公園・市街地

F遺構等:郭・石垣・堀・土塁・説明板
G時代/人物:江戸期/南部氏
H満足度: 凸凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  有料駐車場から15分

J撮影・訪問時期:2025年04月

  

道案内 

東北自動車道盛岡インタを下り、国道46号線に入り、盛岡市内へ進みます。約700m先、西バイパス北口の信号を直進し、県道1号線に入ります。約3km先、太田橋北袂の信号で県道1号線は左折ですので同様に左折します。約3km先、梨木町の信号で県道1号線は右折で、同様に右折します。約3km先、裁判所前の信号で右折します。(直進は国道106号線です。) 右折し約200m先から左手が盛岡城跡公園です。この辺の有料駐車場に停めて行きました。

公園の地下駐車場は城の東側、もりおか歴史文化館の東側、中津川沿いにあります。 (裁判所前の信号でそのまま直進して国道106号線に入り、約300m先の市役所前の信号で右折し、約100m先の信号で国道は左折し、約50m先、中津川の中の橋手前で右折し約50m直進した右手が地下駐車場です。)

訪城備忘録

東北の三名城は白河小峰城、会津若松城、そして、盛岡城を指すようです。確かに東北において石垣造りの良い城ですが、相当に北に位置する盛岡の地で、この総石垣の城は驚きに値します。
はるか50年ほど前に石垣の横を通った記憶はあるんですが、初訪城です。城は不来方山(こずかた)という丘を切り崩し、本丸を南側に配し、二の丸、三の丸と連郭式に郭が配置されてます。
麓の東側は現在鶴ケ池の名になっている内堀が残ります。主要部分の東側、往時は下曲輪と言われた箇所が飛び出した形の曲輪で、この東側まで鶴ケ池は伸びていて、この下曲輪区域を取り囲むように水堀があり、反対側を亀ケ池と呼ばれています。下曲輪の中央に綱門があって土橋があり、北側と繋がれていました。

本丸から三の丸までの東側石垣は麓の現在広場になっている台所曲輪の上になるので、そう高い石垣では無いですが、一直線に二の丸から本丸の石垣が続いているように見えます。二の丸のはばき石垣(元の石垣が崩壊しないように支える補助石垣)の横の石垣は笑い積されているとのことですが、中心となる大きな築石が見当たらないためよくわからんです。二の丸と本丸の間には堀切があり、二の丸から本丸には廊下橋(赤い渡雲橋)で渡る構造になってます。

本丸には天守台が南東隅にありますが、郭内からは余り高くない石垣です。本丸には奥の建物がひしめいて建っていたようです。表の政務は二の丸に大書院が建っていてこちらで行われたようです。本丸の東から南側下にはL字に淡路丸があります。この曲輪の南東隅にはL字の大櫓跡があります。本丸南下の淡路丸は吹上馬場という馬場になっていたようです。この馬場側の南下に彦蔵という盛岡城内唯一の現存建物があります。この彦蔵は現在地より西側にあったものを米内蔵があった位置に移設されたものです。
なお、移築城門として市内名須川町の報恩寺の中門があるようです。

盛岡城の石垣の最大の見所は西側の石垣ではないでしょうか。最大高さは14mあるとの事です。本丸下、二の丸下、三の丸下が折れを伴って高石垣が続きます。榊山稲荷曲輪の三角の張り出し、二の丸の張り出し部など、折れと高さで石垣美を構成しています。二の丸の張り出し部分の石垣下に江戸期石垣修復をした際の石垣普請奉行の刻名が残っています。ただ、この奉行は現代で言う課長さんクラスだったようです。奉行の刻名は三の丸北側石垣にもあるようですが、石垣が整備中で近づけなくて確認できませんでした。

良い天気で石垣も映えてました。(逆に日光が強すぎたくらい(笑)) 現存建物や復元建物は無いですが、石垣だけでも南部氏、初代信直の強い意志を感じる城でした

歴史
「盛岡城跡公園」の標柱






南部信直は南部家第26代当主を相続して当時の南部氏の本拠地である三戸城を居城としていましたが、天正十九年(1591年)の九戸政実の乱平定後、居城を九戸城に移し、福岡城としました。慶長三年(1998年)、信直は、子の利直を総奉行として築城を開始し、(信直は慶長四年に死去) 慶長二十年(1615年)にはほぼ完成したとされますが、その後も、石垣の増設などの工事は続いて、二代藩主重直の時代の寛永十年(1633年)に完工したようです。 なお、盛岡城築城以前は、福士氏の「不来方城・(淡路館・慶善館)」という土の城が存在しました。、南部氏は盛岡城を明治維新まで居城として続きました。


     二の丸西側高石垣     本丸南側鉄鎖という石段(往時は無かった)と石垣
二の丸西側高石垣
現地案内板より
現地案内板より
岩手山遠望
石垣のライトアップ
鶴ケ池(往時は内堀)
主要部から突き出した区域(下曲輪)の東側の堀   鶴ケ池と時鐘
主要部から突き出した区域(下曲輪)の西側の堀  亀ケ池
烏帽子岩  (櫻山神社の背後・三の丸)
台所曲輪から二の丸東面石垣遠望 (左端は本丸石垣)
三の丸石垣
二の丸・本丸  
二の丸東面石垣から本丸方向 (手前石垣は笑い積がされている部分があるらしいが、よくわかりません。 
二の丸東面石垣から本丸方向
 車門石垣
車門石垣(二の丸内から)
本丸西側石垣 (手前は納戸櫓下、向こうの張り出しは二階櫓)
榊山稲荷曲輪  (本丸西側下に張り出した三角の郭。 横矢がかけられる。)
二の丸と本丸の間の本丸側石垣
二の丸と本丸の間の本丸側石垣
二の丸 はばき石垣 (石垣崩落補強石垣)
本丸と二の丸を隔てる堀切 廊下橋で繋がる
本丸門(御末御門)石垣
本丸西側石垣
本丸門(御末御門)石垣
本丸天守台石垣
本丸石垣
本丸石垣
本丸・二の丸の西面下石垣  
吹上門への坂道石垣
吹上門の坂道石垣  
榊山稲荷曲輪の石垣
二の丸西面高石垣
二の丸西面高石垣と二の丸張り出し部の石垣
二の丸西面高石垣と二の丸張り出し部の石垣
二の丸西面下飛び出し部分にある石垣普請奉行の刻銘
二の丸西面高石垣
三の丸北面石垣  (整備中でした 左側下部に石垣普請奉行の刻名があるはずですが見えないです)
三の丸北面石垣
瓦門枡方
淡路丸周囲の石垣 
淡路丸北面石垣
淡路丸北面隅部石垣
淡路丸東面石垣
淡路丸小櫓下石垣
淡路丸大櫓下石垣
淡路丸大櫓下石垣
淡路丸南面石垣
彦蔵(移設現存) <米内蔵があった位置>
淡路丸石垣と彦蔵
淡路丸南面石垣
淡路丸南面石垣
淡路丸南面石垣
淡路丸西側石垣とはばみ石垣
旧盛岡銀行本店(旧岩手銀行本店) 明治四十四年(1911年)築 

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