陸奥・陸中 日戸館



ファイルNo4179


              二重の空堀              

@ ひのとだて 
  別名 一本杉館

A住所:盛岡市日戸古屋敷
    旧:岩手郡玉山村

B目標地点:
C形式:丘城  D比高:10m 
E現況:山林

F遺構等:
G時代/人物:南北朝期/河村氏(日戸氏)
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  7分

J撮影・訪問時期:2025年04月

  

道案内 

東北自動車道の滝沢インタを下り、いったん国道4号線に出て約400m先の分れ南の信号を右折し国道282号線に入り、約400m先の信号を右折し県道16号線に入ります。約3km先で滝沢駅前を通過します。約5km先の川又で左折し県道169号線に入ります。約2.5km先の玉村郵便局前の信号で右折します。約2.5km先の左手丘陵が城跡で入口に説明板があります。その先に八幡神社があります。
 
訪城備忘録

盛岡市内までの帰りの駄賃と思ってチョイスしたんすが、国道4号線から結構中に入る感じであせりました。盛岡市と言っても元々は玉山村ですので、距離感を間違えました。^^; 結果、日没になって到着しました。ここからまだ盛岡市中心部まで1時間はかかります。

さて、城跡ですが、説明板のところから少し登るとすぐに空堀が現れます。郭は三つあり、各独立しています。西の郭、中の郭は堀切との高低差は5mほどあるように見えます。空堀は西の郭側で一部二重になってました。また、西の郭と中の郭の間にも深い空堀がありました。西の郭は城館跡と言う感じはしませんでした。郭面が斜めに傾斜している感じでした。中の郭には一部土塁があり、城館らしさはあります。

ほとんど登りませんし、空堀はしっかり残っていて、一見する価値はあります。

入口の説明板
歴史

築城時期等は不明のようです。正慶年間(1332〜34年)に河村秀清が南部氏よりこの地を与えられてたとされ、日名氏を名乗ったとされます。日名内膳秀恒が慶長十三年(1608年)に青森の野辺地城の城代となり移住しました。子の秀武も城代を務めたようです。日戸館は秀恒の移住の際に廃城になったようです。

中の郭の土塁    空堀と切岸
城跡遠景
  
切岸
切岸   西の郭   郭内
空堀
空堀
二重空堀
中の郭
左:中の郭/右:西の郭 の間の空堀
空堀
二重空堀

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