道案内  |
八戸自動車道の八戸インタを下り、左折し県道29号線に入ります。約1.5km先、松園町の信号を右折し国道104号線に入ります。約1.5km先の八戸博物館入口の信号を左折し約50m先を左折したところが博物館の駐車場でここより城跡に入ります。
あるいは、国道4号線の扇田駐車帯前の信号から国道454号線に入ります。約15km先の信号で国道は左折です。約1.2km先の前田の信号で右折します。約1.5km先の馬場頭の信号で左折し国道104号線に入ります。約700m先の八戸博物館入口の信号を左折し約50m先を左折したところが博物館の駐車場です。
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訪城備忘録 |
現在、主要五つの郭の内、主郭(本丸)、中館、東禅寺館の三つが「史跡根城の広場」となってます。八戸博物館の駐車場から根城の入口には八戸城の東門が移築されてます。門をくぐるとすぐ右手に東禅寺館の堀が横たわっています。ここからやや下る感じで進みます。右手の東禅寺館、中館、主郭(本丸)の丘陵上の郭とは別に谷間になる広い一帯にもなんらかの郭があったようで通路跡など検出されているようです。 丘陵の右手に大きなL字の空堀があり、その上が中館です。元々は主郭と繋がっていた丘だったようですが、主郭周囲に堀が構築され、分離された形になったようです。
主郭は周囲を堀が巡ります。相当深い堀です。丘の上が主郭で、平成六年(1994年)、発掘調査に基づいて、主殿、厩、工房、番所、柵、木橋などが木造で復元されてます。外観復元だけでなく、内部も中世の頃をイメージできる復元で、いろんな復元建物を見ますが、ここの建物は良く出来ている感激してしまいました。
今回は行けてませんが、広場外の岡前館、沢里館は住宅地にはなっていますが、郭跡と堀跡は一部確認できるようです。訪城時は桜が咲いていて、天候も回復してましたので、気持ちがいい城跡でした。
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本丸碑
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建武元年(1334年)、南部師行が築いたとされます。根城の由来は「南朝の根本」になるという意味があるそうです。根城南部氏(八戸氏)は南部氏の惣領家筋ですが、南朝についていたため、途中から北朝側になった同属の三戸南部氏が台頭し、根城南部氏(八戸氏)は三戸南部氏の家臣となって行きました。天正十八年(1590)、小田原の陣に三戸南部氏の信直が参陣し、所領を安堵されますが、この時、八戸政栄は、留守役を務めました。天正二十年(1592年)、豊臣秀吉の破城令で根城は破却されますが八戸氏の居館としては残っていました。寛永四年(1627年)、八戸直義は盛岡藩初代利直(信直の子)の要請で遠野城(鍋倉城・横田城)に移り、根城は廃城となりました。
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