陸奥 根城



ファイルNo4167


             主郭西側堀           

@ ねじょう 
  別名  

A住所:八戸市根城
B目標地点:史跡根城の広場
C形式:丘城  D比高:20m 
E現況:公園

F遺構等:郭・堀・土塁・復元建物・碑・説明板
G時代/人物:南北朝期/南部氏
H満足度: 凸凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  20分

J撮影・訪問時期:2025年04月

  

道案内 

八戸自動車道の八戸インタを下り、左折し県道29号線に入ります。約1.5km先、松園町の信号を右折し国道104号線に入ります。約1.5km先の八戸博物館入口の信号を左折し約50m先を左折したところが博物館の駐車場でここより城跡に入ります。

あるいは、国道4号線の扇田駐車帯前の信号から国道454号線に入ります。約15km先の信号で国道は左折です。約1.2km先の前田の信号で右折します。約1.5km先の馬場頭の信号で左折し国道104号線に入ります。約700m先の八戸博物館入口の信号を左折し約50m先を左折したところが博物館の駐車場です。

訪城備忘録

現在、主要五つの郭の内、主郭(本丸)、中館、東禅寺館の三つが「史跡根城の広場」となってます。八戸博物館の駐車場から根城の入口には八戸城の東門が移築されてます。門をくぐるとすぐ右手に東禅寺館の堀が横たわっています。ここからやや下る感じで進みます。右手の東禅寺館、中館、主郭(本丸)の丘陵上の郭とは別に谷間になる広い一帯にもなんらかの郭があったようで通路跡など検出されているようです。 丘陵の右手に大きなL字の空堀があり、その上が中館です。元々は主郭と繋がっていた丘だったようですが、主郭周囲に堀が構築され、分離された形になったようです。

主郭は周囲を堀が巡ります。相当深い堀です。丘の上が主郭で、平成六年(1994年)、発掘調査に基づいて、主殿、厩、工房、番所、柵、木橋などが木造で復元されてます。外観復元だけでなく、内部も中世の頃をイメージできる復元で、いろんな復元建物を見ますが、ここの建物は良く出来ている感激してしまいました。

今回は行けてませんが、広場外の岡前館、沢里館は住宅地にはなっていますが、郭跡と堀跡は一部確認できるようです。訪城時は桜が咲いていて、天候も回復してましたので、気持ちがいい城跡でした。

歴史
本丸碑







建武元年(1334年)、南部師行が築いたとされます。根城の由来は「南朝の根本」になるという意味があるそうです。根城南部氏(八戸氏)は南部氏の惣領家筋ですが、南朝についていたため、途中から北朝側になった同属の三戸南部氏が台頭し、根城南部氏(八戸氏)は三戸南部氏の家臣となって行きました。天正十八年(1590)、小田原の陣に三戸南部氏の信直が参陣し、所領を安堵されますが、この時、八戸政栄は、留守役を務めました。天正二十年(1592年)、豊臣秀吉の破城令で根城は破却されますが八戸氏の居館としては残っていました。寛永四年(1627年)、八戸直義は盛岡藩初代利直(信直の子)の要請で遠野城(鍋倉城・横田城)に移り、根城は廃城となりました。


中館南下堀     主郭西側堀
復元主殿
復元主殿の室内(詰之間)
現地案内板より
広場内(桜の向こうは東禅寺館の茂み)
戦国期の南部の城(現地説明板より)
  
八戸城移築門<東門>(根城の入口)
八戸城移築門(根城の入口)内側から
東禅寺館        南部師行像
東禅寺館の堀
東禅寺館の堀
主郭(本丸)方向
主郭(本丸)方向
東禅寺館・広場入口方向
通路跡?
中館東下の堀
中館の北側下
 中館の南側下の堀
中館の南側下の堀
 中館
中館
主郭(本丸)東下
主郭下堀<南側>
主郭東下(木橋のところ)
主郭東下の北側
復元主殿
主殿廊下(吊り上げ戸)
復元主殿内部(茶之間)
復元主殿内部廊下
復元主殿内部
主郭
主郭 <手前 常御殿の柱配置>
主郭
主郭西下堀
主郭西下堀
主郭西下堀
主殿の桜
 復元厩 
復元鍛冶工房
復元鍛冶工房の内部
復元鍛冶工房
復元工房
主郭復元北門
八戸城 f4166

@ はちのへじょう A住所:八戸市内丸1−1 B目標地点:三八城公園
C形式:丘城  D比高:30m E現況:公園・市街地  F遺構等:郭・堀切・畝状堅堀・土塁
G時代/人物:戦国期/氏  H満足度: 凸+ I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:10分
J撮影・訪問時期:2025年04月 
八戸自動車道の八戸インタを下り、左折し県道29号線に入ります。約1.5km先、松園町の信号を右折し国道104号線に入ります。約1.5km先の八戸博物館入口の信号で、さらに約1.8km先の信号で左折し国道340号線に入ります。約1.6km先の三日町交差点で左折します。約800m先の路地に左折し、約100m先で城内です。正面が三八城神社、右手が三八城公園です。  

元八戸駅の南側、丘の上が八戸城です。本丸は三八城公園となってますが、遺構は無い感じです。公園の南側下、南部会館の正面と根城の入口に門が移築されています。

建武元年(1334年)、根城が築城された同時期に、南部師行の孫の信助が築き、根城の支城として機能しました。寛永四年(1627年)、盛岡藩初代利直(信直の子)は、八戸南部氏を遠野に移し、直支配し、利直自身が縄張をして八戸城を改修したようです。寛文四年(1664年)、二代重直が死去後、幕府の裁定で、盛岡藩は10万石から八万石に減封して重直の弟の重信が継ぎ、新たに、やはり重直の弟の直房に八戸二万石を分与し八戸藩を立藩させました。新たな八戸南部家は江戸期を通して支配しました。

城址碑@    城址碑A
城内(三八城公園)       本丸碑    
現地説明板より(往時の八戸城)
角御殿表門移築(南部会館)
東門移築(根城の入口)

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