陸奥 浪岡城



ファイルNo4163


            内館から西館と北館の間の堀を見る            

@ なみおかじょう 
  別名 浪岡御所 

A住所:青森市浪岡五代
    旧:南津軽郡浪岡町

B目標地点:浪岡城跡案内所
C形式:平城(河川段丘)D比高:ーーm 
E現況:史跡公園・宅地・田畑山林

F遺構等:郭・堀・土塁・碑・説明板
G時代/人物:室町期/北畠氏(浪岡氏)
H満足度: 凸凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  10分

J撮影・訪問時期:2025年04月

  

道案内 

東北自動車道の浪岡インタを下り、料金所の先の信号で左折し県道285号線に入ります。約5km先の浪岡の信号で左折します。約500m先の信号で左折します。<約800m先右手から浪岡城は見えてます。> 約1.5km先の信号を右折します。約300m先を右折した先が浪岡城跡案内所で駐車場もあります。 徒歩の場合は案内所まで廻らず、北館から入れますし、浪岡川沿いの内館下からも入れます。

訪城備忘録

主要七つの島のように独立した郭があり、群郭式の縄張です。その中で、内館(うちだて)が主郭相当で、一番大きな北館(きただて)が家臣団の屋敷群であったようです。

郭郭の間は堀になっていて、堀の真ん中に土塁が通っていて堀自身は二重堀のように見えます。内館と猿楽館の南下の堀は相当に長く、西館と北館の間の堀と土塁は内館から北に伸びる様が良く見えるので、印象的で、内館・猿楽館の南下堀とT字形で交わるので、面白い景色です。さらに、東館と北館の間の堀と土塁は特に土塁の幅があり、現地では中土塁と説明されています。 あまり、関東以西では見ない城跡の縄張ですので興味深いですが、浪岡川の河川段丘上のほぼ平城ですので、防御性は低そうに感じます。

歴史
浪岡八幡宮の道の反対側にある城址碑





築城時期、築城者は諸説あるため定かではないようです。発掘調査では12世紀の遺物もあるようで、奥州藤原氏に関連した豪族の館があった可能性もあるようです。室町期に入り、北畠顕家の子孫と言われる浪岡北畠氏は浪岡に入りますが、浪岡城をすぐに居城としたわけではないようです。浪岡城を居城としたのは、明応四年(1495年)頃、北畠顕義と言われるようです。浪岡北畠氏は浪岡御所と呼ばれるようです。その後、永禄五年(1562年)、川原御所の乱と言う北畠氏内紛があり衰退していきます。天正六年(1578年)、北畠顕村の時に大浦(津軽)為信に攻められ落城し、顕村は自害し、浪岡城は廃城になった様です。


         中土塁     内館から西館と二重堀を見る
現地案内板より
北館北側にある城址碑     内館にある城址碑
  
猿楽館下       東館
猿楽館からの堀
中土塁
中土塁(橋と橋の真ん中の土塁)
中土塁上
中土塁から堀
北館 
北館から中土塁を見る
北館土塁 
北館(掘立柱を再現された建物跡)
北館
北館
北館北側堀と土塁(西側)
北館北側堀と土塁(東側)
北館
  
内館北側下
内館北側下堀
内館北側下堀
西館
内館北側下堀
(左:西館・右:内館)の間の二重堀・土塁
(向:西館・手前:内館)の間の堀と土塁
堀と土塁  
堀と土塁
内館から北に伸びる堀と土塁
(向:西館・手前:内館)の間の堀と土塁
内館
浪岡川沿いから内館遠望(西側から)
浪岡川沿いから内館東下

近くの城・関連の城: