陸奥 弘前城



ファイルNo4159


            追手門(三の丸南門)           

@ ひろさきじょう 
  別名 鷹岡城・高岡城 

A住所:弘前市下白銀町
B目標地点:弘前公園・弘前市役所
C形式:平城  D比高:ーーm 
E現況:公園・市街地

F遺構等:郭・現存天守・現存櫓・現存門・石垣
     ・堀・土塁・碑・説明板

G時代/人物:江戸期/津軽氏
H満足度: 凸凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  外堀周囲の有料駐車場から20分

J撮影・訪問時期:2025年04月

  

道案内 

東北自動車道の大鰐弘前インタ(おおわにひろさき)を下り、国道7号線を弘前市内へ進みます。約10km先、運動公園入口の信号(高架です)で左折し県道109号線に入ります。約2.5km先の信号で右折し県道260号線に入ります。途中から県道3号線になりますが、道なりで約2.5km先が追手門通り東の信号です。追手門の東側、外堀の東南角に出ます。この辺の有料駐車場に停めて行きます。

訪城備忘録

念願の弘前城訪城でした。天守はまだ石垣修理のため仮置きのままでしたが、それにしても外堀内の区域が弘前公園となり良く残ってます。

弘前城には御三階櫓(天守)だけでなく、三つの三階櫓と五つの城門が残っています。城門はすべて櫓門というのもすごいです。私個人としては、弘前城で現存12天守、現存三階櫓(会津若松城の移築三階櫓を除く)は巡ったことになりました。

この日は三の丸東門(現存)から入りました。<前日夜に三の丸東門と追手門(三の丸南門)の夜景は撮りましたが・・・。> 弘前城の城門はどれも装飾の少ない無骨な門と言う印象です。東門の鯱は鋳鉄製でできているらしいです。 東門からは。北に歩いて丑寅櫓を横目に見ながら、賀田門跡を越えて四の丸(北の郭)の北門まで行きました。外堀沿いに土塁が続いています。北門は別名亀甲門と呼ばれ、築城時期は大手門であったとの事です。また、大光寺城の城門を移築したという伝承があるようです。門の外側は枡形になっているんですが、枡形の場合、多くの城では外側から右曲がりですが、ここは左曲がりで門に入る構造です。外堀の向こうに残る武家屋敷の外観のみ見て、西側に廻り、一陽橋からまた城域に入りました。

再度賀田門跡を通って丑寅櫓、中堀を見ながら有料区域である北の郭、本丸の区域に入ります。弘前城の石垣は各城門の脇に少しあるのを除くと本丸周囲のみが石垣作りになってます。訪城時は本丸東側の内堀沿い天守台周辺の石垣の修復整備中でした。天守は2015年に曳家で本丸の70m先に移動して仮置きされています。2026年秋には元の位置に戻るようです。天守の大きさ、同じ三層三階ですが、他の三階櫓に比べ桁違いに大きいです。なるほど、御三階櫓というより天守と言う規模なんかなと思ってしまいました。

本丸を下乗橋で出て南へ行くと二の丸南内門ですが、こちらも左曲がりになってました。杉の大橋を渡ると中堀の南側面になります。両端に未申櫓、辰巳櫓が建ってます。未申櫓は2025年冬の雪のため倒木が屋根に当たり破損しています。 杉の大橋からそのまま南に行くと追手門(三の丸南門)です。築城当時は北門が大手門でしたが、四代藩主信政の時代の寛文五年(1665年)にこちらを大手門に変更されました。理由は参勤交代の経路が変わったためとの事です。

痛恨のミスをしてしまいました。二の丸東内門と与力番所を見逃して帰ってきてしまいました。広大な城域で本丸・天守区域を見たらなんか満足してしまい見落としてしまいました。天守もまだ仮置きの状態でしたので、出来ることならもう一度は行きたいものですが、たぶん無理でしょうね。^^;

弘前はお城好きとレトロ建築洋館好きにはたまらん街です。また、弘前は珈琲の街とも言われるようで、太宰治が通った喫茶店(今は場所も建物も違いますが)で東北最古の喫茶店と言われるお店もあります。すべては見られませんでしたが、レトロ洋館も数多く残ります。街並み含め、行くまでに自分が想像していた弘前とはずいぶん違いました。やっぱり現地に行って自分の目と足で確認するが一番ですね。

念願の弘前城でしたが、見落としも多く、天守が元に戻るのは2026年という少し残念な部分もありますが、それでも満足でした。

歴史
追手門 土塁 城址碑




津軽藩二代の津軽信枚によって慶長十六年(1611年)に築城されました。元々は初代為信の構想での築城であったようですが、関ケ原の戦いで二千石加増されても四万七千石の弘前藩では相当に大きな城と言えます。寛永五年(1628年)、鷹岡の地名を弘前に改名し、城も弘前城と呼ばれるようになりました。 文化七年(1810年)、三層三階の三階櫓(天守)を幕府の許可のもと建てられました。(元々、五層五階の天守が築城時にはあったものが落雷で消失していました。) 江戸期を通じて津軽氏がこの地を治めました。


二の丸丑寅櫓(郭内から)    二の丸辰巳櫓(郭内から)
天守 (石垣修復整備のため本丸内に仮置き状態)
追手門(三の丸南門)の夜景
現地案内板より
本丸より岩木山遠望
三の丸東門周辺            
三の丸東門
三の丸東門
三の丸東門(夜景)
東側の外堀と土塁
津軽為信像
外堀(東側)と正面東門
               北門周辺               
中堀(東側)
丑寅櫓(中堀側から) 
中堀(北側)と丑寅櫓
中堀(西側鍵状箇所) 
四の丸北門(亀甲門)
四の丸北門(亀甲門)
外堀と土塁(北側)
外堀と土塁(北西角)
               本丸周辺         
土塁(郭内から)
中堀
丑寅櫓
内堀(北の郭)
本丸石垣と内堀
本丸石垣と内堀
本丸石垣
天守
天守
天守
天守  
本丸武者屯御門跡枡方
本丸石垣
本丸石垣
天守台部分の石垣
天守台部分の石垣
下乗橋から天守台石垣と仮置きの天守遠望
天守台部分の石垣
本丸と馬出しの間の土橋と石垣<右の黒いのは残雪>
本丸南側内堀
        二の丸南側〜追手門(三の丸南門)周辺   
二の丸辰巳櫓(郭内から)
二の丸南内門(この門も左曲がり)
二の丸南内門
二の丸南内門
二の丸南内門
中堀(南側で杉の大橋から西側)
中堀(南側で杉の大橋からの東側)
未申櫓と中堀 (櫓は2025年冬、倒木で破損してます)
未申櫓
未申櫓
辰巳櫓
辰巳櫓
辰巳櫓
辰巳櫓と中堀
追手門(三の丸南門)
追手門(三の丸南門)
外堀(南側)
        弘前市内のレトロ建築   
旧第八師団長官舎 大正七年(1917年)築  歴史建造物ですがスタバです。(笑)
旧第八師団長官舎
旧藤田家別邸洋館 大正十年(1921年)築
旧藤田家別邸倉庫(後ろのレンガ壁の建物) 大正十年(1921年)築
冠木門と番屋(手前の黒い建物) 大正十一年(1922年)築
旧弘前図書館  明治39年(1906年)築
旧弘前図書館
旧東奥義塾外人教師館  明治三十六年(1903年)築
旧東奥義塾外人教師館
旧東奥義塾外人教師館
旧第五十九銀行本店本館(現:青森銀行記念館)  明治三十七年(1904年)築
旧第五十九銀行本店本館
旧第五十九銀行本店本館
旧弘前無尽社屋(現三上ビル) 昭和二年(1927年)築
街の中の居酒屋の看板(店名がいいな(笑) いつまでもあるといいけど・・・)
旧吉井酒造煉瓦倉庫(現:弘前れんが倉庫美術館) 
明治40年(1907年)から大正十二年(1923年)にかけて順次増設されたようです。
弘南鉄道大鰐線弘前中央駅  昭和二十七年(1952年)築 昭和レトロな駅
弘南鉄道大鰐線弘前中央駅
日本聖公会弘前昇天教会教会堂 大正九年(1920年)築

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