道案内  |
秋田自動車道の大館北インタを下り、国道7号線に入ります。約3.5km先、東大橋で長木川を渡ります。東大橋南の信号から約600mの左手が桂城公園(城跡)ですが、大館市役所前の信号を左折し、約300m先を左折し、道なりに約200m先が駐車スペースがあります。
あるいは、秋田市方面からは、秋田自動車道で秋田中央インタから八竜インタまでが約75kmで、八竜インタから国道7号線能代パイパスに入ります。約15km先、能代東インタで、さらに約15km先が能代バイパスの終点の二つ井白神インタで、国道7号線と合流します。ここから約47km先が大館市役所前の信号です。(秋田自動車道は途中が繋がっていないので秋田市側からは特に下道が長いです。)
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訪城備忘録 |
本丸が桂城公園として残ります。公園の南側に直線の土塁とその外側に水堀が残ります。 土塁の端には石垣の痕跡も残ります。 二の丸跡は大舘市役所ですが、その横に桜櫓館(おろうかん)という昭和八年(1933年)築の建物が移築されています。二階建てですが、その上に望楼があるので、ほんと櫓みたいです。 さらに穴門跡にも土塁が残る ようですが見落としました。
市内の個人宅に大館城の移築門が残ってます。現地に見たのですが、奇麗にされているのでこれが移築門 なのか判断できなかったです。また、この近くの一心院の墓地には真田左衛門佐幸村の墓というのがあります。信繁ではなく幸村です。伝承では大坂の陣を生き延びた幸村(信繁)はこの地で暮らし没したというものです。
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本丸の碑と説明板
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天文十九年(1550年)、浅利勝頼が築城したとされます。浅利氏は源頼朝よりこの地の地頭職に任じられ、大館城以前は十狐城が居城であったようです。慶長三年(1598年)、浅利頼平が亡くなり、この地は安東氏(秋田氏)の所領となりましたが、慶長七年(1602年)秋田実季は常陸穴戸に移封となり、代って佐竹氏が入封し、この城には一族の小場義成が入り、一国一城令でも存続城となって、小場氏が城代を務めました。三代義房よりは佐竹氏を名乗り佐竹西家と言われます。佐竹西家が江戸期を通じてこの地を支配しました。
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