出羽・羽後 久保田城



ファイルNo4152

巨大な土塁の本丸・近世土の城

             本丸一の門(復元)               

@ くぼたじょう 
  別名 窪田城・矢留城・葛根城 

A住所:秋田市千秋公園〜千秋明徳町
B目標地点:千秋公園
C形式:平山城  D比高:20m 
E現況:公園・市街地

F遺構等:郭・土塁・堀・復元櫓、復元門・説明板
G時代/人物:江戸期/佐竹氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  10分

J撮影・訪問時期:2025年04月

  

道案内 

秋田自動車道の秋田中央インタを下り、県道62号線を進みます。約5.5km先が秋田駅ですが、その手前で県道62号線は地下道に入ります。地下道を約1km先で左に分岐している道があるのでそれを登ると県立美術館の横の信号に出ます。直進して次の信号を左折、また次の信号を左折すると約200m先が県道26号線の千秋公園口の信号です。正面が久保田城(千秋公園)です。
 
訪城備忘録

今回の東北城巡りで、朝からわりと強い雨にたたられた日でした。朝一に行った久保田城でしたが、終始傘が必要でした。

雨の中、変なところから入城したため本丸しか行ってません。 本丸の土塁が非常に高いです。また、広いです。ここに御殿、政庁があったようですから当然なんでしょうけど。また、佐竹氏は前領地が常陸という事もあり、土の城が得意で石垣は苦手という事もあって、近世の土の城になったようです。

本丸説明板
歴史

久保田城築城以前、戦国期には安東氏の家臣の三浦氏の矢留城があったとされます。慶長七年(1602年)、佐竹義宣は常陸54万石から秋田20万石に減転封を命ぜられ、秋田の湊城に入りました。湊城が手狭であった事から慶長八年(1603年)久保田城の築城を開始し、翌年には完成し、義宣は湊城より移り、以後、明治維新まで佐竹氏の居城となりました。

隅櫓(模擬)     移築門(鱗勝院山門)
  
長坂門跡
長坂門土塁枡形
長坂門を上から
本丸一の門(復元)
本丸一の門(本丸内より)
御物頭御番所(現存)
裏門跡
帯郭門(土塁が高い)
本丸土塁
本丸土塁
本丸土塁の建つ隅櫓(模擬)
隅櫓(模擬)
本丸多聞長屋(本丸土塁上)
本丸埋め門
御出し書院(霊泉台)   切岸     
本丸
二の丸から本丸の切岸
土門跡と土塁
移築門(鱗勝院山門)

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