道案内  |
秋田自動車道の協和インタを下り、国道341号線を仙北市方面に進みます。約5.5km先の上淀川橋の信号で左折し国道13号線に入ります。約600m先の上淀川の信号で右折し国道46号線に入ります。約34km先、角館バイパス(国道46号線)の小勝田の信号で右折し県道250号線に入ります。約1km先、川原町の信号で左折し国道341号線に入ります。約250m先が武家屋敷入口の信号で、これを越えて約200m先の左手に山に登る道がありここへ左折します。約100m先で見には二股で、左の奥が古城山公園、右手の登る道が山頂への林道ですが、林道は一般車は入れません。このそばに城址碑と徒歩で登る道があります。
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訪城備忘録 |
城としての遺構はほぼ無く、主郭と思われる郭は非常に広いという印象です。中央に戸沢氏に関する碑のようなものがあります。展望所から角館の街を一望するのが唯一の登城のご褒美でしょうかね?
角館武家屋敷群は蘆名氏が町割りを開始し、佐竹北家が整備していったようです。武家屋敷群に残る岩橋家、河原田家、青柳家などは元々は蘆名氏の家臣であったようです。もう数日後なら桜も咲く頃でしたが、その時期は人がいっぱいになるでしょうからこの辺がいいですわ(笑) 黒に統一された塀が連なり、幅の広い道路が一直線に伸びている光景は角館を象徴する光景ですかね。
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城址碑
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築城時期は定かではないようです。南北朝の頃、菅(角館)能登守利俊によって築城されたとも言われるようです。応永三十一年(1424年)戸沢家盛が角館氏を討って居城を門屋城から角館城に移したとされますが、諸説あるようです。戸沢氏は関ケ原の戦いでは東軍に属し、慶長七年(1602年)には常陸に転封(後に出羽新庄にて明治維新まで大名として存続しています。)、常陸より減封転封となり秋田に入った佐竹義宣は角館に義宣の弟で名門蘆名氏を継いで、蘆名氏が伊達氏に破れ、佐竹氏の与力となっていた蘆名義広(名は盛重、義勝と改名)を1万6千石で入れました。元和六年(1620年)、角館城は一国一城令で廃城となり、蘆名氏は麓に居館に移りました。明暦二年(1656年)、蘆名氏が三代千鶴丸が幼くして亡くなり断絶した為、佐竹北家の佐竹義隣が入り、明治まで続きました。
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