下野 多気山城



ファイルNo2558

下野最大の規模の山城

               主郭への虎口  

@ たげさんじょう 
  別名 多気城 

A住所:宇都宮市田下町
B目標地点:多気不動尊
C形式:山城  D比高:240m 
E現況:山林

F遺構等:郭・土塁・堀・堀切・竪堀
       ・(石垣?・説明板)

G時代/人物:戦国期/宇都宮氏
H満足度: 凸凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  登城口から比高160mで20分

J撮影・訪問時期:2010年10月

  

道案内 ←七曲りの登城口

東北自動車道の鹿沼インタを下り、料金所から右手を出て県道6号線・国道121号線共用道路に出ます。500m先の上石川の信号を右折し国道121号線を進みます。3.8km先の信号を右折し県道265号線に入ります。5.2km先の仁神堂町の信号を右折し国道293号線に入ります。4.9km先の田野町の信号で国道は右折します。さらに国道は800m先の田野町東の信号で左折します。(多気不動尊の案内があります) 1.4km先の信号を越え50m先で左折し多気不動尊向います。(左折角に多気城の看板もあります) 道なりに700m進むと市営駐車場があり、その先100mで斜め左に登ると多気不動尊・多気持宝院です。寺の入り口手前でで左折の細道がありここに左折します。200m先に多気山の案内標識があり、その先が道幅が広くなっており、駐車可能です。登り口は他にもあると思いますが、この七曲道で今回は登りました。
 
訪城備忘録

全山が城域という感じのようです。今回は山頂の主要部、七曲道の東側遺構、北側の遺構を見学しましたが、南側遺構、西側遺構は草木が多くて断念しました。丸一日で全山廻れるかなという大きな城郭です。多気不動尊近くの登城道からつづらの道を登ります。二ヶ月ぶりの山城でしたので、早々に息が上がってました。中腹でまずは東側遺構に入ります。土塁が巡った大きな郭、大きな段郭がいくつも確認でき、虎口は枡形虎口あり、平虎口あり、坂虎口ありという感じです。主郭部下まで登ると半円に横堀が巡っていますが、堀底道のようで、後方の虎口に繋がっているようです。現在はそのまま坂を登ると御殿平と呼ばれる広場になっている主郭に入れます。主要部は主郭・副郭・櫓台(多気山山頂)に区分され、主郭は70m四方ほどでしょうか?副郭側にL字土塁と食い違い虎口があり、副郭・櫓台に続いています。主郭北側下の帯郭と主郭までの高さ8mほどの切岸が今も見応えあります。北側郭群は草木に覆われ遺構の確認はむずかしい状態でした。主郭副郭から坂虎口を下りると先ほどの主郭下の横堀に繋がった帯郭がありますが、この主要部に至る帯郭ー平虎口-小郭ー坂虎口ー副郭ー副郭と主郭の複合虎口・食い違い虎口ー主郭という進路は実に複雑な構造です。坂虎口下の小郭から南側、西側と郭群が続いているようですが、草木が多くてあきらめました。また、西側麓付近にも遺構があるようです。いずれ再訪したいものです。

多気山山頂(櫓台)
歴史

築城時期は定かではないようです。伝承では平安期にすでに砦のようなものが築かれたともあるようです。戦国期に入り北条氏の侵攻に備えるために、宇都宮氏二十二代、宇都宮国綱が本格的に築城しましたが、天正四年(1576年)、あるいは、天正十四年(1586年)とも言われるようです。国綱が宇都宮城から本拠を移ったのは天正十四年頃とされます。いずれにしても天正年間以前より城郭はあったんでしょうね。天正十八年(1590年)の北条氏滅亡後に本拠は宇都宮城に再度移されましたが、慶長二年(1597年)に宇都宮氏は改易となったため、この時、多気山城も廃城になったとされます。

  主郭東下横堀     主郭北下帯郭と主郭切岸
 城跡遠景         国道から左折の標識
  
東郭郭群最初の虎口と土塁
東郭郭群で大きな郭のの土塁           登城道    
東郭郭群の段郭        東側郭群平虎口と土塁
主郭南下堀状      主郭(御殿平)
主郭のL字土塁      主郭東下切岸
       竪堀          主要部と北側郭群を隔てる堀切
北側郭群        多気山頂
主要部虎口
副郭と主郭の間の土塁と堀
副郭を虎口から      主郭土塁
食い違い虎口
主郭南下

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