下野 足利城



ファイルNo2419

明瞭な堀切とわずかに石積みが残る

                        主郭北下堀切    

@ あしかがじょう 
  別名 両崖山城 飯塚山城 小屋城 栗崎城 

A住所:足利市大岩町
B目標地点:両崖山・足利高校・雷電神社
C形式:山城  D比高:220m 
E現況:山林

F遺構等:郭・土塁・堀切・石積み・碑・説明板
G時代/人物:平安期/足利氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  20分

J撮影・訪問時期:2010年04月

  

道案内 ←登城口  城跡は両崖山(りょうがいさん)山頂

東北自動車道の佐野藤岡インタで下り、国道50号線で足利方面に進みます。28km先 公設市場前の信号で右折し国道288号線に入ります。3.5km先で田中橋で渡良瀬川を渡り、田中橋北で左折、200m先の永楽町の信号で右折します。600m先左手が足利学校です。足利学校から1km先の女子高校前の信号で国道は右折ですがこの信号で左折し、250m先の信号で右折し県道40号線に入ります。1.3km先、足利高校へ入る道に左折します。800m道なりに進み(途中、雷電神社参道が右にあります)、左折した先の細い路地から登城道があります。この道は急ですが距離的には近いです。駐車場完備を考えると織姫神社の上の織姫公園近くの駐車場(機神山古墳群横)からなだらかな長い尾根を進んで登るコースの方がいいかもしれません。

訪城記録

平安期に築城された古い城というイメージであまり期待はしなかったのですが、遺構はしっかり残ってました。道案内の雷電神社近くの登城道から登りました。いっきに140mほど登り尾根に達します。そこから岩がゴツゴツと露出した尾根を登ると南端の模擬櫓が設置してある展望台に出ます。ここから足利市が一望できます。堀切状を越え、なだらかな尾根をさらに登ると二の郭相当の場所に神社が建ち、説明板が設置してありました。その上は主郭、西に堀切がありその先は小郭のピークがあります。主郭北側下には大きな堀切があって斜面には石積みが残っていました。北側の尾根はハイキングコースで、2箇所相当に薄くなっていますが堀切と竪堀の痕跡が認められます。西の尾根側に行くとまた大きなピークになり、柴山というようです。柴山を右手に進むと天狗山へ行きます。左手は尾根上に郭の痕跡、一段下がってさらに広い平坦地になってました。その端には大きく明瞭な堀切が残っていました。この周辺は両崖山・天狗山・大岩山のハイキングコースで、この日も多くの方が山歩きを楽しんでおられました。城跡としても、眺望としても悪くは無い。

城址碑と説明板
歴史

天喜二年(1054年)に藤原秀郷の七世の淵名成行が築城し足利氏を名乗りました。藤性足利氏は平家に属し、源平の戦い(〜元暦二年(1185年)の中で足利俊綱、子の忠綱は敗死し、藤性足利氏は滅亡しました。足利荘は源系足利義兼が支配しました。寛正六年(1466年)以降の享徳の乱で功があり、山内上杉房顕の家臣長尾景人は足利荘を与えられ、足利長尾氏となります。三代も景長は足利城を修築し、拠点としました。北条氏の勢力拡大とともに山内上杉憲政は天文十四年(1545年)に河越の夜戦に破れ、天文二十一年(1552年)には平井城を捨て、越後に逃れました。その後、足利長尾氏は越後長尾氏(上杉謙信)、北条氏の間に挟まれ、拠点を館林城に移しました。景長の死後 顕長(養子:由良国繁の子)が継ぎ、天正十二年(1584年)頃より北条氏に属します。天正十八年(1590年)小田原の役で足利長尾氏は没落しました。

主郭西下堀切               主郭北側斜面石積み

   現地案内板より(図の左が北)      南尾根よりの眺望(緑文字が足利氏館)

  
(上から)      主郭北下堀切      (横から)
北尾根堀切2箇所
柴山の郭群の西端堀切
    柴山の郭              主郭南尾根(登城道)堀切と展望台

             近くの城・関連の城: