下野 足利氏館
足利学校・足利陣屋



ファイルNo2418

きれいな方形居館が残る

                        南側土塁と堀    

@ あしかがしやかた 
  別名 

A住所:足利市家冨町
B目標地点:鑁阿寺(ばんなじ)
C形式:平城  D比高:−−m 
E現況:寺

F遺構等:郭・土塁・堀・碑・説明板
G時代/人物:期/
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  観光無料駐車場から10分

J撮影・訪問時期:2010年04月

  

道案内 

東北自動車道の佐野藤岡インタで下り、国道50号線で足利方面に進みます。28km先 公設市場前の信号で右折し国道288号線に入ります。3.5km先で田中橋で渡良瀬川を渡り、田中橋北で左折、200m先の永楽町の信号で右折します。600m先左手が足利学校です。無料駐車場は国道を挟んで足利学校の反対側にあります。ばん阿寺は足利学校の北側にあります。 
訪城備忘録

200m四方の土塁、堀が綺麗に残ります。訪れた時は本堂は修築中であったので見られませんでしたが、館の形を今に伝えるという感じです。

城址碑
歴史

諸説があるようですが、源系足利氏となる源義国、義康(足利氏初代)、義兼の三代の内で館を築いたようです。建久七年(1196年)には義兼が持仏堂を建立したのがばん阿寺の始まりとされます。八代当主が足利尊氏です。

西側土塁と堀    東側土塁と堀
楼門と反り橋       境内
足利学校
周囲の土塁と堀
学校門                     方丈
足利陣屋2417
足利市雪輪町
説明板         陣屋表示板

市内旭町に表門が移築されているようですが、陣屋があった場所は市街化となり池が立ち並んでしまっています。わずかに説明板と陣屋があったことを表示する板とそばの民家に井戸があるのみです。
歴史:宝永二年(1705年)に戸田忠利が11000石で大名に列せられました(甲斐で八千石、下野で三千石)。四代の忠言が宝暦八年(1758年)に陣屋を築きました。戸田氏は明治維新まで続きました。陣屋があった場所は現在雪輪町と言うのは戸田氏の家紋が雪輪であったためとの事です。

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