下野 中村城



ファイルNo2384

奥州伊達氏発祥の地

                        北側の堀    

@ なかむらじょう 
  別名 

A住所:真岡市中
B目標地点:遍照寺・中村八幡宮
C形式:平城  D比高:10m 
E現況:寺・畑地・雑木林

F遺構等:郭・土塁・堀・碑・説明板
G時代/人物:平安期/中村氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  2分

J撮影・訪問時期:2010年01月

  

道案内 

北関東自動車道の真岡インタを下り、インタ南の信号を右折し県道47号線に入ります。1km先の長田の信号を左折し国道408号線に入ります。2.5km先の松山町の信号を過ぎてすぐを右折し県道316号線に入ります。左折時点は信号が有りませんが、入口に「中村八幡宮」と「遍照寺」の大きな看板が立っています。1.4km先左手中の集落の背後が城跡です。県道を行き過ぎると中村八幡宮の参道に至ります。
 
訪城記録

200m四方の館城がほぼ完存しています。周囲を巡る堀はほぼ完存している感じです。北側は二重の堀になっている感じです。城内は寺が建っているため、往時の感じは残っていないのでしょうが、堀を見るだけでも一見の価値はあります。

南側の城址碑と説明板
歴史

保元元年(1156年)、または、平治年間(1159〜60年)に藤原小太郎朝宗がこの地に入って館を築き、中村氏を名乗ったことが始まりのようです。朝宗の子の宗村は文治五年(1189年)の奥州合戦の功により源頼朝より伊達郡を賜り、伊達に移り伊達氏の祖となりました。中村ノ庄は子の為宗が継承しました。その後、為宗は子の義宗に当地を譲り、為宗自身は伊佐(下館市)に移ったとされます。義宗は為宗の子ではなく、源義経の子と言う伝承があるようです。義宗より六代の経長は南北朝期には南朝方に属しましたが敗れ、宇都宮公綱に従い、当地の1/3を所有し、その後も当地に居住しました。経長より十四代の中村日向入道玄角は天文十三年(1544年)に水谷正村と戦い討死し、子の時長は宇都宮俊綱を頼り水谷氏と戦いますが破れ、伊達氏を頼り奥州に逃れたとされます。この頃に廃城になったようです。 <現地説明板より>


南側の堀                寺周囲の堀

北側の堀と土塁              城内の中村大明神

  
現地案内板より                中村八幡宮

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