道案内 |
東北自動車道の宇都宮インタを下り、国道119号線を宇都宮市内に進みます。1.8km先、宇都宮IC入口の信号で宇都宮北道路(国道119号線バイパス)に入ります。6km先の信号で左折します。9km先、平出工業団地の信号を直進して国道4号線に入ります。5km先、平出の信号で左折し県道64号線に入ります。4.3km先の道場宿の信号で国道408号線を越えます。1.4km先の信号では直進し県道69号線に入ります。県道64号線を道なりに25km先、天矢場の信号で国道123号線に合流します。1.5km先の道の駅もてぎの信号のひとつ手前の信号で斜め左に入り旧国道123号線に入ります。2.1km先の大門の信号で右折し、すぐの路地を左折します。茂木中央病院を左手に見ながら山すそまで行き左折し病院の裏手に行きます。ここから城山への道があり、中腹に第一駐車場、城山公園手前に第二駐車場があります。
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訪城備忘録 |
戦国後期まで使われた城ですから 尾根上には中世的主郭と二の郭がありますが、その下に千人溜、三の郭、出丸などが広がっていて、けっこう大きな城です。三の郭は草木が密集していてとても遺構は見れません。二の郭にしても草木が伸びていてたどり着くのがきついため断念しました。主郭は公園となっていて周囲を巡る土塁、北側には櫓台であろう一段と高い土塁がありました。出丸側には模擬櫓が建っていて「姫の望楼」という名が付いていました。
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主郭と土塁
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宇都宮宗綱の弟の八田知家が建久三年(1192年)に奥州藤原氏の討伐の功により源頼朝よりこの地を知行され、知家は三男の知基をこの地に入れ、知基は城を築城し茂木氏を名乗りました。その後、代々茂木氏の居城となりました。永禄九年(1556年)に佐竹義重に破れ、以後は佐竹氏に従いました。文禄三年(1594年)に茂木治良は佐竹義重の命で常陸小川城に移り、茂木城には佐竹氏の家臣の須田盛秀が入りました。慶長七年(1602年)に佐竹氏が出羽秋田に移封となり、須田氏も秋田の横手に移り代官管理になりました。慶長十五年(1610年)に細川興元(細川忠興の弟)が1万石で入りますが、その後には谷田部に移り城は廃城になりましたが、細川氏の陣屋は明治維新まで続きました。
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