常陸 守谷城



ファイルNo1985

     堀  

@ もりやじょう 
  別名 城 

A住所:守谷市本町
B目標地点:守谷小学校・守谷城址公園
C形式:丘城  D比高:20m 
E現況:公園・山林・宅地・公共施設

F遺構等:郭・土塁・堀・堀切・石碑・説明板
G時代/人物:鎌倉期/相馬氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  公園駐車場から10分

J撮影・訪問時期:2008年10月・2010年03月

  

道案内 ←主郭 ←守谷小学校側遺構

常磐自動車道の谷和原インタを下り、国道294号線を守谷市街地に向います。5km先、土塔の信号の先でつくばエキスプレスのガードを越えます。300m先の百合ヶ丘3丁目の信号で左折し、左にカーブしながら100mほど先を右折します。160m先の信号で右折し、800m先(仲町のバス停の100m先)を左折します。400m先右手が守谷小学校で反対側に土塁が残ります。さらに500m先、住宅団地の先に主郭を含む公園があります。
 
訪城備忘録

実施にはインターから入ったわけではなかったので、城址公園は大きな住宅団地の端にあり、また、守谷小学校も旧市街地のあるため、二度行っても道がよくわかってません^^; 小学校の前に土塁と城址碑と説明板があり、住宅団地の端の沼地跡の先にこんもりとした森のなかに主郭が残ります。主郭は深い空堀がはっきり残り、主郭には土塁が残ります。二の丸の端にあたる場所には和田の出口と呼ばれる船着場がありましたが、今は説明板があり、その先はなにか工事をしてる感じの沼池の跡が広がっていました。遺構のパーツは見応えがあるんですが、城域を囲んでいた沼池は埋め立てられ、城の感じがどうもつかみにくい気分です。

 
説明板
歴史

鎌倉初期に千葉常胤の次男の師常がこの地に入り相馬氏を名乗り居館を築いたと考えられますが築城時期は定かではないようです。城は大永年間(1521〜27年)には存在した史料があるようです。戦国期には治胤が当主で古河公方、後北条氏の間で揺れましたが、最終的には後北条氏に属し、天正十八年(1590年)の小田原城攻めで北条氏が没落するとともに相馬氏も没落します。関東移封された徳川家康は菅沼定政を1万石で守谷城に配しました。寛永五年(1628年)に菅沼氏が出羽上山に転封となり城は廃城になりました。

土塁
現地案内板より       駐車場より主郭の森
  
小学校そばの土塁      小学校そばの城址碑
現地案内板より(@が主郭 K大手<小学校付近>)   和田の出口の説明板     

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