武蔵 大和田陣屋



ファイルNo2746

住宅街にしっかりとした土塁が残る

                            土塁

@ おおわだじんや 
  別名 伊達城・伊達陣屋 

A住所:さいたま市大宮区大和田町1丁目
B目標地点:
C形式:丘城  D比高:20m 
E現況:
宅地
F遺構等:郭・土塁・碑・説明板
G時代/人物:戦国期〜/伊達氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  県道2号線沿いの説明板から2分

J撮影・訪問時期:2012年08月

  

道案内 

東北自動車道の岩槻インタを下り、国道16号線に入ります。インタからすぐの宮ケ谷塔の信号を左折し県道2号線に入ります。3.5km先の大和田駅入口の信号を越え、500m右手(大和田の信号の手前200m)に陣屋の標識と説明板が畑の前に県道に向かって立っています。
 
訪城記録

説明板そばの小道を進むと県道からも見えますが、民家とうっそうとした林があります。この周辺が大和田陣屋で高い土塁が民家を巡ります。また、この民家の東側(民家からは直接行けなくて、民家の裏手の道を進む)にも土塁が20mほど残っていました。民家東側の土塁は3mほどの高いものであり、とても江戸期の陣屋という感じではなく、戦国期からの雰囲気を残します。伊達城の主郭はもう少し北西側に行った大宮商業高校あたりのようですが、今はなにも残っていないようです。

説明板と標識・後方陣屋跡の林
歴史

築城時期は不明(伊達城は永禄三年(1560年)という説があります。)ですが、岩槻城の大田氏(資正、氏資の時代か)の家臣の伊達房実が岩槻城の支城として築城したものと考えられ、伊達城、伊達陣屋とも呼ばれます。天正18年(1590年)、北条氏に属していた岩槻城太田氏資は北条氏に属し、小田原北条氏の滅亡とともに開城、その後、伊達氏は徳川氏に属し、江戸時代に入り、伊達城の一角に陣屋を構えたものです。


民家東側土塁               住宅内の土塁

  

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