武蔵 熊倉城



ファイルNo2676

長尾景春再起賭けた城

                  主郭と二郭の間の堀    

@ くまくらじょう 
  別名 日野城 

A住所:秩父市荒川日野
    旧:秩父郡荒川村

B目標地点:武州日野駅
C形式:山城  D比高:360m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀・堀切・竪堀・土塁・碑・説明板
G時代/人物:戦国期/長尾氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  林道登城口から比高60m 10分
J撮影・訪問時期:2011年10月

  

道案内 ←集落入口 ←登り口

皆野寄居バイパス(有料)の終点で下り、大塚の信号を左折し国道140号線に入ります。17km先、武州日野駅の手前、荒川中学校入口の信号を左折し、秩父鉄道を渡ります。踏切から750m先で右折します。後は熊倉山登山口を目指しますが、600m先、寺沢区農村センターで、300m先に水車小屋があって、そこから200m先で右折し、後は道なりに3kmほど行くと峠です。ここから登ります。(なお、林道を下りて行くと白久駅に至ります)
 
訪城備忘録

秩父の奥、城跡としては比高の高い山にあるため訪城を躊躇してたんですが、林道が城山のそばまで続いていたんで車で行く方はけっこう楽に行けるところです。但し、麓の集落から林道が何本があって、道を間違えると違う山に入ってしまいますので注意(注意って自分が入ってしまいました^^;)熊倉山の登山口を目指せばいいんですが、集落の最初の分岐点に書いてないんっすよ。林道を進んでいくと熊倉山への最初の登山口がありますが、ここは抜けて峠まで行きます。峠のところも熊倉山の登山口ですが、その反対側に城山の登城口があります。名前の通り熊には注意のようです。登城口から比高30mも上ると左右の尾根です。左手に進みますと最初の浅い堀切です。さらに進むと明瞭な深い堀切、真ん中には土橋、両サイドは竪堀で落ちています。主要部は大きな郭が二つあり、真ん中を空堀で隔てています。二の郭は削平が甘い感じで、また、土塁も痕跡程度です。主郭はきちんと削平され二の郭側、空堀に沿ってL字に土塁が明瞭に残ります。主郭の北側にも空堀が横たわり、その先は三の郭になるんでしょうか?小さな郭があります。ここから少し下りて行くと三日月上に浅い空堀がありました。山上ですが主郭は広く、きちんと削平されている感じで居住性を感じます。二の郭は兵站基地という感じに見えました。山奥の城跡ながらなかなかいい感じの城跡です。

説明板と碑
歴史

文明十年(1478年)頃、長尾景春が築いたとされます。景春は山内上杉顕定の家老であった長尾景信の嗣子で、景信死去後、顕定は景信の弟の忠景を家老としたため、景信は文明六年(1474年)に反乱を起こし鉢形城を拠点とし、山内上杉氏を圧迫しました。扇谷山内氏の重臣であった太田道灌は武蔵への進出の好機と考えて進攻、文明十年(1478年)に鉢形城は陥落し、景春は秩父に逃れ、塩沢城、熊倉城などを築いて抵抗を続けたものですが、文明十二年(1480年)、熊倉城も落城、景春は古河公方足利成氏に庇護されました。文明十八年(1486年)、道灌が扇谷上杉定正に暗殺され、永正六年(1509年)、顕定が越後で討死すると、景春は白井城を奪還を目指したが、いったん奪還するも長尾景英に追われ流浪したようです。

尾根の大きな堀切        主郭と三郭の間の堀 
現地説明板より    登城口  
  集落内分岐点(右へ)    水車小屋(この先で右手へ)
  
   登城口遠景        尾根の最初の浅い堀切
大きな堀切と土橋       二郭  
二郭から堀越しに主郭の土塁             主郭の土塁   
   主郭        主郭と二郭の間の堀
主郭と三郭の間の堀       三郭北下の堀  

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