武蔵 秩父横瀬根小屋城



ファイルNo2575

古い縄張りに戦国末期の改修跡が残る

               西の郭御殿跡    

@ ねごやじょう 
  別名 

A住所:秩父郡横瀬町横瀬
B目標地点:
C形式:平山城  D比高:150m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀切・堀・土塁・説明板
G時代/人物:平安期/秩父氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  登城口から20分

J撮影・訪問時期:2010年11月

  

道案内 

関越自動車道の花園インターを下り、国道140号線を秩父市内へ向かいます。35km先、秩父警察署、秩父鉄道秩父駅付近を越えた先、上野町の信号で左折し国道299号線に入ります。4.5km先、右手に城山が見え、後方に武甲山が見えるところで路地に右折し、100m左手に登城口があります。
 
訪城備忘録

城山(前山)山頂を主郭として北西尾根側の西の郭、北東尾根側の二の郭、その麓側の東の郭に遺構が残ります。主郭は採石で消滅していますが、二の郭の堀切と土橋は明瞭です。東の郭は帯郭などありますが、土塁も無く古い感じがします。突出しているのは西の郭です。国道から少し入ったところに説明板付の登城口があります。山すそを少し歩いてから山に入ります。すぐに左右に分かれてますが、左に行くと東郭を経由して主郭に登ります。右手を行くと西の郭に至り、そこから主郭へ登ります。右側の西の郭から行きました。西の郭は大きな上下二段の郭が残り、西側下には大規模な横堀があります。下の段の端には土塁が巡り、枡形状の虎口が残り、その先に堀切と土橋が残ります。西の郭は発掘調査中で、何本かのトレンチが入ってましたが、横堀部分では、横堀の土塁部分に石積みが見られました。土止めの石積みでしょうか? この城は古い城郭を戦国期に西の郭群のみ大規模に改修したという感じで、名前の通り、その箇所は居住区(根小屋)として使われ、山頂の主郭部分は監視のためにのみの使用で、大きな改修はされなかったんだろうと思われます。

説明板
歴史

築城時期は定かではないようです。平安期、秩父別当武光から五代重能まで居城としたと伝わるようです。この重能は男衾郡畠山に移り、子には。鎌倉幕府に尽力した畠山重忠がいます。城は戦国期に入り北条氏の支城となり、北条氏直の家臣の渡辺監物、浅見(朝見・阿左美)伊賀守が在城したとされます。天正十八年(1590年)、鉢形城落城とともに開城し、廃城になったとされます。

西の郭西下横堀    二の郭堀切と土橋
現地案内板より      城跡麓
秩父皆野方面      主郭より        武甲山
  
西の郭御殿              西の郭(上段は御殿)
西の郭虎口外堀切              西の郭虎口土塁
西の郭西下横堀                  主郭   

近くの城・関連の城:阿左美氏館