武蔵 高取城



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                        二の郭続きの横堀    

@ たかとりじょう 
  別名 高取城 越生要害山城 

A住所:入間郡越生町越生
B目標地点:越生神社
C形式:山城  D比高:80m 
E現況:

F遺構等:郭・土塁・堀・竪堀・碑
G時代/人物:期/
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  20分

J撮影・訪問時期:2010年04月

  

道案内 

関越自動車道の鶴ヶ島インタで下り、左折して国道407号線に入ります。2km先の市役所入口の信号で右折し県道114号線に入ります。7km先の川角農協前のT字信号で左折し県道39号線に入ります。4km先の毛呂本郷の信号で右折し県道30号線の旧道に入ります。(毛呂本郷の1km手前の信号は県道30号線の新道ですので注意) 4km先、八高線越生駅前の信号で、そこから100m先を左折します。300m先の十字路を直進した左手に越生神社があります。

訪城記録

大高取山から派生した尾根のピーク、高取山に城跡はあります。越生神社は越生氏の居館跡と言われ、その詰め城が高取城です。越生神社の裏手に山への道がありますが、道に入ってすぐに二手に分かれます。右手の木の階段がついた急坂が奥宮への参道です。途中からつづら折れの道になり、登りきったところが奥宮=高取城主郭です。祠の横に土塁の痕跡が認められ、尾根側に郭が続きます。主郭下南側に帯郭のような二の郭、それに続いて横堀状の窪みが続きます。尾根側に二本の堀切痕跡がありますが、薄くて分かりにくい上にけっこう草深くて遺構は見難い状態です。

城址碑
歴史

築城時期は不明です。児玉党一族の入西三太夫資行の四男有行が越生氏を名乗ったのが始まりとされます。有行の子の有弘は、文治元年(1185年)の源頼朝奥州征伐に従軍し、この周辺の地頭職を与えられました。室町期以降の越生氏の動静は定かではないようです。

主郭土塁残              堀切痕跡

二の郭から主郭を見る                 二の郭
 越生神社                  越生神社説明板

  

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