武蔵 大築城



ファイルNo2429

すばらしい堀切と切岸と明瞭な虎口が残る

                         二の郭への虎口と土塁   

@ おおつくじょう 
  別名 吾那蜆城(あながしじみ)? 大津久城 

A住所:入間郡越生町麦原〜比企郡ときがわ町(玉川村)西平
B目標地点:あじさい山公園
C形式:山城  D比高:220m 
E現況:山林

F遺構等:郭・土塁・堀切・竪堀・説明板
G時代/人物:戦国期/上田氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  登城口から30分
J撮影・訪問時期:2010年04月

  

道案内 ←登城道  ←城址

関越自動車道の鶴ヶ島インタで下り、左折して国道407号線に入ります。2km先の市役所入口の信号で右折し県道114号線に入ります。7km先の川角農協前のT字信号で左折し県道39号線に入ります。4km先の毛呂本郷の信号で右折し県道30号線の旧道に入ります。(毛呂本郷の1km手前の信号は県道30号線の新道ですので注意) 5km先、(八高線越生駅前から1km先)の三滝入口の信号で左折し県道61号線に入ります。4km先、麦原入口のバス停で右折します。あじさい山公園を目指して道なりに進みます。3km先住吉神社のところにあじさい山公園周辺の案内板があります。ここで右折し標識に従いY字を左へ、道なりに進むと峰集落の一番奥に城山の登城口があります。

訪城備忘録

登城口からひたすら登ります。途中二度の分岐点がありまますが、いずれも左手に進みます。まずはモロドノ郭と言われる尾根の先端まで行きます。このモロドノとは毛呂殿ということらしく、出郭的に改修された場所のようです。大築城のある大築山は前面に小築山があり、見通しが悪い方面がありますが、モロドノ郭は南に突き出ているため、今でも眺望が利きます。この郭は南の先端が盛り上がり櫓台というか見張り台のようで尾根も西側に土塁があって、東側は10m四方の平坦地になってます。なにか建物が建ってたんでしょうか? 

モロドノ郭からさらに登ると城山の標識が一直線に斜面を登るように示しています。竪堀を30mほどまっすぐ登るようになっています。本来は大築山と小築山の鞍部まで登り、そこから城域に入るんでしょうけど、このまっすぐな斜面を登りました。登りきると右手に大きな堀切があります。その下にも大きな堀切があり、ダイナミックな二重堀切です。堀切底から上の郭までの高低差は5m以上有り壮観です。主要部の堀切上の郭には南側から入り、西に折れて右側の平虎口に段差を登りながら二の郭に入るようになっています。平虎口の両サイドの土塁が明瞭です。堀切上の郭は虎口郭のようです。二の郭から主郭へは、今はまっすぐ進めますが、往時は左手端の虎口から入るような構造であったような感じです。主郭は細長い郭ですが長さは50mほどありそうです。虎口側の東側と北側にのみ土塁が認められます。この周辺では突出した規模の堀切、枡形虎口の技巧、残存度を合わせて 大変興味深い城跡でした。

主郭にある説明板
歴史

築城時期は定かではないようです。吾那(あがな)憲光が応永年間(1394〜1428年)に築城し、天文年間初期に毛呂氏が改修したという説があるようですが、史料からは、天文十五年(1546年)以降に北条氏に従っていた上田朝直が、北条氏の命により、地元の権威勢力であった慈光寺の攻撃のために築城したとされます。廃城の時期も不明で、天正十八年(1590年)の北条氏滅亡まで存続したか定かではないようです。

   虎口郭下堀切             虎口郭の進入虎口と土塁(郭内から)
現地説明板より               麓の道路の桜
モロドノ郭遠望              モロドノ郭からの眺望
モロドノ郭
虎口郭下堀切       二重堀切        先端の堀切
虎口郭への虎口(外側から)         虎口郭から二の郭の土塁
  主郭                 主郭からの眺望
道案内 
   登城口              山中の分岐点1(左へ)

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