武蔵 河越氏館



ファイルNo2380


                          土塁  

@ かわごえしやかた 
  別名 

A住所:川越市上戸
B目標地点:上戸小学校・常楽寺
C形式:平城  D比高:−−m 
E現況:公園・寺・宅地・田畑

F遺構等:郭・土塁・堀・碑・説明板
G時代/人物:平安期/河越氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  20分

J撮影・訪問時期:2010年01月

  

道案内 

関越自動車道の川越インタから国道16号線を狭山方面に進みます。2.1km先の大袋新田の信号で右折し県道114号線に入ります。県道は3.7km先の的場上の信号で右折します。5km先(霞ヶ関駅北口の信号から500m)の信号で右折し750m先の信号で左折した右手一帯が館跡です。
 
訪城記録

訪れた時はまだまだ発掘調査中でした。史跡公園も半分整備が終わったという感じです。館跡、堀跡がモミュメント表現されています。土塁が北側に痕跡を残します。この土塁ははっきりしていますが、戦国期の陣所の際に構築されたもののようです。東側には空堀らしき跡もあるようです。

城址碑
歴史

桓武平氏秩父氏の流れの一族が平安末期に館を構え河越氏と名乗りました。治承四年(1180年)、源頼朝に従い平氏討伐に加わります。河越重頼の娘が源義経の妻となり、頼朝と義経が対立したため、いったんは河越氏は没落しますが、鎌倉中期に河越経重が勢力を回復しました。応安元年(1368年)に河越氏は足利鎌倉公方に反旗を翻して敗れ、没落しました。館は戦国期に入り、山内上杉顕定が川越城の扇谷上杉氏に対するため陣所(上戸陣)を構え、この時に北側の土塁を構築したとされます。さらに、その後には北条氏の支城のひとつとなって大道寺政繁の居館となっていたようですが、天正十八年(1590年)には廃城になったようです。


土塁                    郭

史跡公園

  

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