武蔵 龍ケ谷城
(千馬山城)



ファイルNo2303

遺構が完存、見応えのある秩父屈指の城跡

                         二の郭下岩場の堀切   

@ りゅうがいじょう・せんばやましろ 
  別名 田野城・要害山城 

A住所:秩父郡皆野町三沢
B目標地点:皆野・長瀞インタ
C形式:山城  D比高:150m 
E現況:山林

F遺構等:郭・土塁・堀切・竪堀・石積み・説明板
G時代/人物:戦国期/藤田氏(用土氏)
H満足度: 凸凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  集落登城口から20分

J撮影・訪問時期:2009年11月・2010年11月

  

道案内 

皆野寄居バイパス(有料)の皆野長瀞インタを下り、すぐのインター口の信号を右折し県道82号線に入ります。1.2km先の強石橋を渡ってすぐを左折します。曲がってすぐに左手に城跡説明板があります。正面の山が城跡で、道なりに400mほど行った左手民家の前に城跡登城口の標識があります。ここから登ります。
 
訪城備忘録

この城は小さいながら遺構・登城道が完存しており、登城道の遺構、主郭周辺と東の尾根、東斜面の東の郭の大きくみっつの見所箇所に分けられます。集落の標識からすぐの民家をかすめるように道を登ると上の段の民家の庭先になります。そこを逆V字に山への道があります。しばらく登ると祠があり、そこから尾根道を登って行きます。尾根道を登って行くと明瞭な土橋と堀切にまずは遭遇します。これって坂虎口というか木戸跡のようです。続けて堀切、この堀切には石積みでの補強の痕跡が残っています。登りきったところが主郭で主郭にはお堂と櫓台には小さな祠がありました。主郭から東の尾根には岩盤を削った大きな堀切、それに続けて、折れのある横堀が二の郭下を巡ります。さらに東の尾根を行くと大きな二重堀切があり、ふたつとも明瞭な竪堀に繋がっています。東斜面の遺構群は二の郭下の横堀の折れの部分から斜面を降りるか、二の郭下の三の郭からさらに下に降りて、右手に行ったところにあります。上段の横堀、L字に曲がった下段の横堀、石積みの残る虎口など技巧的な遺構です。

県道そばの説明板
歴史

築城時期は定かではないようです。永禄年間(1558〜70年)に用土新左衛門(藤田重利(康邦))または重利の子の正光が築城したとされますが、その以前、天文十五年(1546年)に藤田氏が北条氏に下った頃にはすでに存在したようでもあります。永禄四年(1561年)に長尾景虎、永禄十二年(1569年)には武田信玄に攻められていますが持ちこたえたようです。天正十八年(1580年)の豊臣秀吉の小田原城攻めの際、この城には三上外記が守っていましたが、鉢形城とともに落城し廃城となりました。

登城道尾根の堀切と石積み                 主郭下・横堀 
千場山城遺構写真
現地案内板より                 城跡遠望
二の郭下の折れのある横堀
西の尾根道堀切と土橋(木戸)  登城の尾根       堀切と石垣    
物見郭の堀切土橋                   物見郭  
主郭下横堀                 主郭櫓台
主郭西下堀切と小郭
二の郭下堀切
東の尾根の二重堀切と竪堀
東の郭虎口                 東の郭上の段横堀
東の郭の折れのある横堀              東の郭の石積み
東の郭虎口

東側竪堀                 二の郭下堀切
  
二の郭下堀切            二の郭から主郭
主郭そばからの眺望      集落の登城口

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