武蔵 高見城



ファイルNo2075


                        主郭    

@ たかみじょう 
  別名 四津山城 

A住所:比企郡小川町高見
B目標地点:四津山神社
C形式:山城  D比高:100m 
E現況:山林・神社

F遺構等:郭・土塁・堀切・碑・説明板
G時代/人物:戦国期/増田氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  麓城址碑から10分

J撮影・訪問時期:2009年04月

  

道案内 

関越自動車道の嵐山小川インタを下り、杉山の信号で左折し県道11号線に入ります。 500m先、嵐山小川インタの信号で右折し県道296号線に入ります。4.2km先の能増の信号を通過し約500m先を左折します。約1km先を右折するとすぐに四津山神社の登り口です。
 
訪城備忘録

夕方の訪城でやや暗くなってしまったが、強引に登りました。城址碑のところを少し登ると石段になります。右手の山道でもいいのですが、時間がなかったので石段を駆け上がりました。本殿のある主郭から北側の尾根に遺構が残ります。主郭は案外に広いという印象で、背後には明瞭な土塁が残っています。二郭、三郭と尾根に続く郭間は堀切で隔てられ、四郭は主郭より広い空間ですが削平が少し甘い感じです。いずれにしても 典型的な連郭式の城跡です。

登り口の城址碑
歴史

長享元年(1487年)に増田四郎重富の居城であったと史料に記されています。ただ、別の史料には治承四年(1180年)に石井九郎右衛門政綱(青山城主 青山氏久の家臣)の居城とも伝わるようです。長享二年、明応三年(1494年)の二度、扇谷上杉定正と山内上杉顕定が高見ケ原で争いましたが、この時、城は山内上杉氏の支城とて機能したされます。

現地案内板より                 城跡遠景
  

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