武蔵 青山城



ファイルNo2070


                         三の郭堀切   

@ あおやまじょう 
  別名 

A住所:比企郡小川町青山
B目標地点:仙元山西麓〜アドニス小川CC
C形式:山城  D比高:150m 
E現況:山林

F遺構等:郭・土塁・堀切・竪堀・石積み・説明板
G時代/人物:平安期・戦国期/青木氏・上田氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  登城口から25分

J撮影・訪問時期:2009年04月

  

道案内 ←登城口 ←城跡

関越自動車道の小川インタを下り、インタ前の信号を左折し県道11号線に入ります。2km先の信号で右折し国道254号線(新道)に入ります。1.2km先の高谷の信号で左折し再び県道11号線に入ります。2km先の日赤病院前のY字信号で左手に進みます。1km先で国道254号線(旧道)を越えます。1.5km先、八高線を越えた青山陸橋西の信号で左折し県道30号線に入ります。2km先、右手にアドニス小川というゴルフ場のところで、ゴルフ場の入口を越えて500m先で反対側へ左折し、八高線の踏み切りを越えます。越えてすぐに左折し、道なりに進むと仙元山の登城口がありますので、ここを登ります。
 
訪城備忘録

仙元山の登山道を10分ほど登るといったん平坦な尾根になり、T字の山道があります。左に行くと仙元山で、ここを右折します。5分もすると右手に急坂が有り、ここを登って行くと三の郭です。手前に最初の堀切があります。三の郭の背後にも堀切があり、ここを越えて主郭です。主郭はけっこう広く長方形に近い郭です。低い土塁が巡りますが、一部石積みを埋め込んだ土塁が残っています。虎口の補強でしょうか。その先、堀切状の箇所があり、土橋が残っています。

主郭
歴史

築城時期ははっきりしませんが、平安末期、青木氏宗が築城したと伝わります。青木氏は鎌倉期から室町期と続き、上杉氏に従っていたようです。戦国期に入り、北条氏の家臣の上田朝直(松山城)の持ち城であったようですが、天正十八年(1590年)の豊臣氏の小田原城攻めの際に廃城になったようです。

  主郭と説明板               石が埋めてある主郭土塁
三の郭                   二の郭手前堀切
  主郭                   現地案内板より
二の郭との土橋                   堀切

  

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