上野 後閑城



ファイルNo2610


                        北郭の二重堀切    

@ ごかんじょう 
  別名 

A住所:安中市中後閑
B目標地点:後閑小学校・後閑城址公園
C形式:山城  D比高:60m 
E現況:史跡公園

F遺構等:郭・堀切・碑・説明板
G時代/人物:期/
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  城址公園駐車場から10分

J撮影・訪問時期:2010年02月

  

道案内 

上信越自動車道の松井田妙義インタから、県道51号線に出ます。900m先、五料の信号で右折し国道18号線に入ります。国道を安中方面に進み、13km先、碓氷病院入口の信号で左折し、道なりに3.5km進みます。信号で右折し県道216号線に入ります。600m先、後閑小学校手前で左折し、500m先で右折します。(角に城址公園案内表示有) 道なりに700mほど登ると城址公園の西側駐車場です。
 
訪城記録

城跡は後閑城址公園として整備されていますが、少し整備されすぎの感はあり、巨大なジオラマを見ている感すらあります。主郭を中心に東西南北に段郭を設け、特に主郭と北郭の間の多重堀切は特徴的です。段郭は広く、居住性を感じる広さです。夕方に訪れたのですが、妙義山の夕日が綺麗でした。

説明板
歴史

嘉吉元年(1441年)に武田氏の家臣の依田忠政によって築かれたとされます。依田氏三代光慶はが天文七年(1538年)に板鼻城(鷹巣城)に移ります。その後、新田影純が後閑城を領有し後閑氏を名乗りました。後閑氏は武田氏に与し、天正十年(1582年)、武田氏滅亡後は北条氏に属しましたが、関東に入った滝川一益によって後閑城が攻撃され後閑信純は滅亡しました。その後、再度北条氏方の城となりましたが、天正十八年(1590年)の小田原北条氏滅亡とともに廃城になったようです。


主郭北下堀切                  主郭

現地案内板より                城跡遠望
妙義山の夕日(主郭より)

  
南郭                  二の郭
東郭群                  主郭
西郭群                 北郭

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