上野 | 松井田城 |
ファイルNo2606 |
関東境目の城、戦国の城の無骨さが光る城
@ まついだじょう |
道案内 ←城跡 ←車の登城口 | |||
上信越自動車道の松井田妙義インタから、県道51号線に出ます。900m先、五料の信号で右折し国道18号線に入ります。国道を安中方面に進み、3km先の左に下りる道がありますので、ここを下ります。(安中方面から来るとここでは下りられませんので、松井田の信号から斜め左に216号線に入り、新堀の信号で右折し、またすぐを右折し700m先で左折し国道18号線をくぐれば同じ場所です) 800m先の大きなU字カーブの左側に松井田城の入口があります。500m先まで車で登れます。 |
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訪城備忘録 | |||
比高は120mほどの山城ですが、主尾根及び支尾根に城域が広がり、全部見て廻るのに3時間近くかかりました。遺構の残存度は一級品ですが、特に城壁(切岸)がするどくすごい、完存中の完存です。 但し、藪が多いため、写真で撮るとわけがわからんのが残念です。 さて、城跡ですが、訪城は大手口側の車道から入りました。当日は残雪が残っていてノーマルタイヤでは登れませんでしたが、普通なら中腹まで行けます。とは言え、登城口から歩いても中腹までは5分ですが。尾根道を進むすぐに左手に堀切、さらに尾根道にも前面に堀切土橋を伴う門跡状の箇所が二箇所あります。さらに進むと、北東下に水の手、東尾根郭群、堀切を隔て安中郭、安中郭の西下に枡形があり、堀切から高い城壁を登ると櫓台、その向こうに主郭、主郭の西に堀切、その先に馬出し、堀切の向こうに二の郭、二の郭の西下に畝状空堀、北下に三連続堀切、主郭西下の堀切を北に下りて行くと石積みの残る門跡、その北の尾根に堀切を隔て畝状竪堀があるという遺構群です。枡形、馬出しともに藪がきついのもあり、形状的にはわかりにくいです。案内板が無いとわかんないですね。二の郭から西下、北下に下りる斜面は角度も鋭くなかなかです。畝状空堀も、畝状竪堀も明瞭さには欠けます。二の郭北側の三連続堀切は深さ、高さ、鋭さ、どれをとってもいいです。 |
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築城は定かではないようです。永禄年間初期(1560年前後)に安中忠政が築いたとされますが、それ以前に城があったとも伝わります。永禄七年(1564年)に武田信玄が攻めて落城、武田方の城となりました。天正十年(1582年)、武田勝頼が滅亡し、本能寺の変後に北条氏の城となり、大道寺政繁が入りました。天正十八年(1590年)の豊臣秀吉の小田原城攻めの際の北国軍である前田利家、上杉景勝らに攻められ、政繁は降伏し、その後の北国軍の案内役として小田原城まで進んだものの、秀吉に切腹を命じられました。 |
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