上野 前橋城



ファイルNo2479

関東七名城のひとつも今は土塁が残るのみ

                        土塁    

@ まえばしじょう 
  別名 厩橋城 

A住所:前橋市大手町1丁目(群馬県庁)
B目標地点:群馬県庁
C形式:平城  D比高:−−m 
E現況:公共施設、市街地

F遺構等:土塁・碑・説明板
G時代/人物:戦国期/長野氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  2分

J撮影・訪問時期:2010年06月

  

道案内 

関越自動車道の前橋インタを下り国道17号線に入ります。5km先利根川を渡り県庁前の信号で左折します。700m先の左手が県庁です。
 
訪城記録

県庁の西側と北側に土塁が残ります。本丸は県庁に、二の丸は市役所となり、土塁以外には遺構は残っていないようです。

現代の城/群馬県庁
歴史

1500年頃(文明〜明応〜永正年間)に長野業尚が築城した箕輪城の支城として築城され、当初は石倉城と言われたようです。その後、厩橋城と呼ばれます。永禄三年(1560年)上杉謙信(当時は長尾景虎)の関東進攻以降は上杉氏の拠点となり、城代として北条高行(後北条氏ではなく、越後の北条(きたじょう)氏)が入りました。天正六年(1578年)の謙信が死去した後は北条高行は武田氏に属し、天正十年(1582年)の武田氏滅亡、それに続く本能寺の変で織田氏勢力(滝川一益)が一掃された後は後北条方の城となりました。天正十八年(1590年)の豊臣氏の小田原城攻めの際に落城、後北条氏が滅亡した後、関東に移封した徳川家康の家臣の平岩親吉が三万三千石で入りました。慶長六年(1601年)には平岩氏は甲府に転封し、酒井重忠が三万三千石で入りました。酒井氏入封後に厩橋から前橋に改称されました。寛延二年(1749年)に酒井氏が姫路に転封となり、代わって松平朝矩が十五万石で入封しますが、前橋城は利根川の氾濫で侵食に悩まされたため、明和四年(1767年)に領地は松平氏のままではありましたが、川越に藩庁を移し、明和六年(1769年)に前橋城は廃城になり、陣屋管理となりました。幕末の文久三年(1863年)川越藩主松平直克が前橋城の再築城を開始し慶応三年(1867年)に完成しました。しかし、すぐに明治維新で、明治四年(1871年)の廃藩置県となりました。


県庁周辺に残る土塁
前橋城址碑

  
現地案内板より(江戸期前橋城)

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