上野 館林城



ファイルNo2412


                       三の丸土塁     

@ たてばやしじょう 
  別名 尾曳城 

A住所:館林市城町
B目標地点:館林市役所・こども科学館
C形式:平城  D比高:−−m 
E現況:公共施設・市街地

F遺構等:郭・土塁・碑・説明板
G時代/人物:戦国期/赤井氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  市役所から10分

J撮影・訪問時期:2010年04月

  

道案内 

東北自動車道の館林インタを下り、左折して国道354号線を進みます。5km先の緑町の信号で右折し県道7号線に入ります。1.5km先の市役所前の信号で右折します。すぐの左手の文化会館入口に城址碑があります。また、文化会館の裏手が公園となっていて三の丸土塁と土橋門があります。市役所で道かクランク状態で進み、400m先の右手にこども科学館があり、この裏手が本丸周辺で科学館のお隣が八幡神社があり、ここは八幡郭です。
 
訪城記録

城は沼地に囲まれた要害の平城であったようですが、今は市役所や文化会館、市街地となり、遺構は少ないです。市役所、文化会館側は三の丸で、土塁が残り、土橋門が復元されています。こども科学館側は本丸で、土塁が残り、石組みの溝が復元されていました。

城址碑
歴史

築城者、築城時期は定かではないようですが、天文年間に赤井照光が築城したともされます。ただ、文明三年(1471年)に上杉方が赤井文六、文三の居城である立林(館林)城を攻略したという記録もあるようです。永禄五年(1562年)には上杉謙信の関東進攻で赤井氏降伏し、城は長尾景長が城代として入りました。その後、武田氏、北条氏に攻められますが、天正十二年(1584年)に北条氏の調略で長尾氏より城を奪い、北条氏規の家臣の南条氏が城代に入りました。天正十八年(1590年)に小田原城攻めで北条氏が滅ぶと徳川家康が関東に入り、榊原康政が10万石で館林城に入りました。榊原氏が三代続き、寛永二十年(1643年)に榊原忠次が白河に移封となり、翌年に大給松平乗寿が6万石で入封します。寛文元年(1661年)に二代松平乗久は佐倉に移封し徳川綱吉が25万石で入封しました。綱吉は延宝八年(1680年)に五代将軍となり、綱吉の子の徳松が継ぎますが、天和三年(1683年)に徳松が死去したため館林藩はいったん廃藩となり、城も破却されたようです。その後、宝永四年(1707年)に松平清武が5万4千石で入封し、館林藩は再興され城も再築されます。以後、藩主の交代や天領になったりとたびたびありますが、弘化二年(1845年)に秋元志朝が6万石で入封し、秋元氏二代で明治維新を迎えました。


土橋門(復元)              三の丸の碑と説明板

本丸土塁

  

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