上野 長井坂城



ファイルNo2252

土塁と堀の美を感じる城跡

                            

@ ながいさかじょう 
  別名 
A住所:渋川市長井〜利根郡昭和村川原
   旧:勢多郡赤城村

B目標地点:昭和の森GC・関越自動車道長井坂トンネル真上
C形式:山城  D比高:250m 
E現況:山林・畑

F遺構等:郭・堀・堀切・土塁・碑・説明板
G時代/人物:戦国期/上杉氏
H満足度: 凸凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  三の丸の畑地から5分
J撮影・訪問時期:2009年08月

  

道案内 

関越自動車道の昭和インタで下り、左折し、高原方向に進みます。(右折は県道65号線で県道255号線に出ます) 3km先の十字路で右折し、赤城高原、昭和の森ゴルフ場方面に進みます。道なりで、いったん下って、また登るという道を進みます。4kmほど進むと高原とゴルフ場入り口です。ここからさらに2kmほど道なりで進むと右折し(案内表示有り)、2kmほど先で左折し(案内表示有り)、細い道を500mほど進んだところが城跡です。 城跡は関越道の長井坂トンネルの真上に位置します。 あるいは、国道17号線で渋川方面から来ると、伊熊の信号で右折し、県道70号線に入り赤城インタへ向かいます、<関越自動車道の赤城インタからは県道70号線を国道17号線方面に進みます。> 伊熊から1.5km先の西原の信号で左折し県道255号線に入ります。8km先の赤城町棚下で旧沼田街道へ右折し(城址案内標識有り)、河川段丘を一気に登ります。関越自動車道を陸橋で越え、道なりに2kmほど進むと最初の案内標識です。

訪城記録

この日、私は渋川方面から入ったんですが、県道255号線は左に利根川、右は絶壁の崖という道で、なんか、豊橋から鳳来へ向かう県道を思い出しました。小学校を越えると道はくの字にカーブし、終わった頃に右へ登る道が有りました。こんな絶壁を登る道があるんかいなと思ってましたが、旧沼田街道ということらしく、昔からの道のようです。急坂を一気に登ると、そこは一面の畑。荒々しい岩の絶壁の上は穏やかな台地でした。城址にはやや右側へ迂回するように大規模農道を進むと案内板が見えてきます。この日は晴天で、台地一面の畑、迫っている赤城山あるいは子持山、遠くの榛名山の山々が気持ちよかったです。さて、城跡ですが、最後の細い農道をクランク道を進むと三の郭外側の土塁と堀に至ります。その手前にも今は畑ですが、窪んでクの字になっているところが有り、これももしかしたら外郭の堀跡かなぁと思わせます。三の郭(東)、二の郭も畑になっていますが、三の郭と二の郭の間の土塁・堀が見事に残っていました。夏場で草木は伸びていましたがはっきりと分かります。二の郭に城址碑と説明板が建っています。この右手に馬出がありますが、私にはイメージがしにくい^^; 主郭及び背後の三の郭西の領域は夏場でも草は伸びておらず大変見学がしやすかったです。郭を巡る土塁、郭を隔てる土塁、大手からの堀底道など土塁の美を感じる主要部でした。台地側から来ると平城という感じですが、三の郭からの眺望は絶壁の上に位置するというのが実感できます。眺望、遺構となかなかの城跡でした。

説明板と碑
歴史

永禄年間(1558〜70年)に上杉謙信が築城したとされます。永禄三年(1560年)、謙信は沼田城を攻め、沼田顕泰(あきやす)<万鬼斎>を降伏させ、その後に築城したとされます。天正年間に入り、北条氏の城となっていましたが、天正八年(1580年)に武田方の真田昌幸が城を奪いましたが、北条氏邦が五千の兵で奪還し、白井長男氏が城を改修し、猪俣邦憲が守ったとされます。天正十八年(1590年)の北条氏が小田原で滅亡すると、この城も廃城になったとされます。


主郭土塁と碑              主郭背後の堀

三の郭の堀と土塁            三の郭東の土塁
二の郭の土塁と外側を巡る堀
馬出し
      二の郭           二の郭と三の郭東との堀(細底道)
主郭の堀                   主郭土塁
   郭を巡る土塁             主郭と三の郭の間の堀

  三の郭西と土塁                   大手  
大手道                三の郭西の碑

     三の郭西からの眺望       三の郭東から関越道(トンネルの真上です)

  
   三の郭から二の郭遠望        三の郭外側の畑(外郭の堀に見える)
周囲の道案内板

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