上野 白井城



ファイルNo2251

戦国の縄張りと近世の普請が混在する城

                       主郭東下堀     

@ しろいじょう 
  別名 

A住所:渋川市白井
    旧:北群馬郡子持村

B目標地点:道の駅こもち・白井宿
C形式:丘城  D比高:20m 
E現況:山林・畑

F遺構等:郭・堀・堀切・土塁・石垣・碑・説明板
G時代/人物:室町期/長尾氏
H満足度: 凸凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  1分
J撮影・訪問時期:2009年08月

  

道案内 

国道17号線鯉沢バイパスの「道の駅こもち」の信号で左折し、50m先を左折します。臼井宿内を少し進み、右手歴史博物館の先を右折し、200m先の路地を左折します。少し進むと北郭、城山不動尊の所に至り、そのまま進むと主郭に至ります。

訪城記録

台地先端に各郭を隔てる空堀という戦国っぽいところと、枡形虎口で石垣を用いた近世的なところとが混在します。主郭の土塁は高く、主郭内もサッカー場並にひろいです。主郭周囲の堀もただ巡るだけでなく、二の郭の堀との接続があり、深く見応えのあるものです。

主郭虎口と城址碑
歴史

長尾景忠が南北朝時代にこの地に入り、永享年間(1429〜41年)に関東管領山内上杉憲実の臣の長尾景仲が築城したとされます。天正六年(1578年)に上杉謙信が死去し、長尾憲景は武田氏に属しました。天正十年(1582年)の武田氏滅亡後は北条氏に属しました。当主が長尾政景(憲景の子)の時、天正十八年(1590年)の小田原の役となり、前田利家らに攻められ開城、徳川家康の関東移封に伴い、本多広孝・康重が二万石で入り、城を改修しました。その後、城主は慶長六年(1601年)に戸田康長、慶長七年には井伊直孝が1万石で、元和二年(1616年)には西尾忠永が2万石で、元和四年(1618年)には本多康重の次男の本多紀貞が1万石で入りましたが、寛永元年(1624年)に紀貞が病死し、城も廃城となりました。


主郭土塁                  主郭堀西側

主郭虎口(郭内より)                 主郭   
主郭土塁                  主郭虎口石垣
主郭堀東側               主郭南側下堀
主郭周囲の堀
二の郭                  二の郭堀
東側         三の郭堀         西側

  

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