上野 金山城



ファイルNo2131

復元整備された山城

                            

@ かなやまじょう 
  別名 

A住所:太田市金山町〜長手町
B目標地点:太田市役所・金山自然公園
C形式:山城  D比高:180m 
E現況:公園・神社・山林

F遺構等:郭・土塁・堀切・石垣・復元建物・碑・説明板
G時代/人物:戦国期/岩松氏
H満足度: 凸凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  尾根駐車場より20分
J撮影・訪問時期:2009年05月

  

道案内 

関越自動車道花園インタを下り、国道140号線を熊谷方面に進みます。20km先の警察署前の信号で国道17号線(旧道)を横切り国道407号線に入ります。2km先の代の信号で国道17号線(バイパス)を越えます。代から16km先で刀水橋で利根川を越え、群馬県に入ります。橋から10km先、東本町の信号で左折し県道2号線に入ります。500m先の信号で右折し県道321号線に入ります。2kmほど進むと左折する道があり、この山道を1kmほど登ると西城領域の駐車場です。  あるいは、圏央道太田桐生インタを下り、国道122号線を南下します。1.4km先、安良岡の信号で右折して国道407号線に入ります。2km先の東本町の信号を右折です。
 
訪城備忘録

本城を中心に西城北城(坂中城)、南側に八王子山砦を配し、全山が城という感じです。中心部には西城まで車で登れるため、わりと気軽に散策できますが、それでも駐車場から主郭までは尾根道を20分ほどかかります。その間に堀切、石垣を伴う虎口など遺構が残ります。復元整備が進み、石垣も積み直されています。少しやりすぎの感もありますけどね。中心部虎口から日ノ池までの間は近世城郭並みの石垣群で壮観でした。実城である新田神社の北側下には当時の感じの残る石垣が保存という感じで残っています。さらに、北の尾根を進むと北城(坂中城)までの間に明瞭な堀切と郭が残っています。戦国前期の色の濃い縄張りに戦国後期の石垣を多用した技法が加えられた壮大な山城でした。麓では発掘調査がまだされてるようで、麓の郭や大手道周辺の整備もされているようです。

主郭(実城)城址碑
歴史

文明元年(1469年)に新田氏系の岩松家純が築城したとされます。それ以前には新田氏の砦があったようです。享禄元年(1528年)頃、岩松氏の内紛で重臣の横瀬泰繁が実験を握り、永禄八年(1565年)頃、泰繁の子の成繁が横瀬氏から由良氏に改称しました。成繁の頃が全盛期であり、時として、上杉氏、北条氏に従いましたが、たびたび、敵対した勢力に攻められましたが、落城しなかったとされます。天正十二年(1584年)国繁は金山城を北条氏に明け渡し、この城には北条氏の家臣、宇津木氏久、清水正次などが在番しましたが、天正十八年(1590年)に豊臣氏の小田原城攻めの際に廃城になったようです。 桐生城に退いていた由良国繁は牛久に新領地を得ています。

新田金山城・追加写真のページへ⇒⇒**
物見台下虎口石垣             主郭北側下石垣
現地説明板より                月ノ池
新田金山城・追加写真のページへ⇒⇒**

近くの城・関連の城: