上総 東金城



ファイルNo2581


                        主郭北下堀切?    

@ とうがねじょう 
  別名 

A住所:東金市東金
B目標地点:東金高校・八鶴湖
C形式:丘城  D比高:40m 
E現況:山林

F遺構等:郭・土塁・堀切・碑・説明板
G時代/人物:戦国期/酒井氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  学校前から10分

J撮影・訪問時期:2010年12月

  

道案内 

千葉市方面から千葉東金道路で来ると東金インターを下り、国道126号線を南下し東金市内へ進みます。3.6km先の台方三差路信号でななめ左折します。1.6km先を左折します。200m先の八鶴湖岸で左折し岸沿いを進みます。300m先が東金高校でその隣が本漸寺です。城跡は寺の背後の丘陵上です。
訪城記録

東金高校と本漸寺の間の小道を進むと御殿山という石柱が建ったところから城跡に登ります。尾根に近くなると左手に斜面を巻いたように空堀(竪堀?)があります。そこから最初のピークに登ると円形の平坦地に至ります。「御殿山神社奥院」の石柱が立ってます。その先は堀切状で両サイドも竪堀で落ちているように見えます。そこからさらに登ると主郭ですが、冬場でも草木が茂っていて見通しは悪い状態です。西端に土塁の痕跡が確認できます。南側に下りて行くと大きな平坦地があります。主郭以上に藪状態ですが、この平坦地の先端に第二次世界大戦時のトーチカが残っていました。この平坦地も軍が使用したようです。主郭北側下には帯郭なのか幅のある平坦地があり、支尾根の部分は堀切状に抉られています。ここは、本漸寺の墓地の裏手の高台になります。本漸寺の墓地には城主酒井氏の供養塔もありました。遺構はそこそこ残っているようですが、草木が伸び過ぎているのと第二次大戦時に軍に使用されたようですから、その当時の改変を受けているようです。

登城口説明板
歴史

大永元年(1521年)に酒井小太郎定隆によって築かれたとされます。定隆は土気城から田間城を経て東金城に移ったようです。その後、酒井氏5代が居城としましたが、天正十八年(1590年)に豊臣秀吉の関東征伐の際に廃城になったようです。この時、五代城主酒井政辰は恭順を表したため、関東に入封した徳川家康は政辰の子の政成を千石にて旗本に取り立てました。江戸期に入り、慶長十八年(1613年)に徳川家康の鷹狩の宿泊場所として、現在の東金高校の敷地に東金御殿が建てられました。寛文十一年(1671年)には取り壊されたようです。


空堀

     城址碑              御殿山入口(左は東金高校)

  
堀切                   主郭

             近くの城・関連の城: