上総 成東城



ファイルNo2532

                            

@ なるとうじょう 
  別名 

A住所:山武市成東
    旧:山武郡成東町

B目標地点:成東城址公園・愛宕神社・富士見台団地
C形式:丘城  D比高:40m 
E現況:公園・神社・山林・宅地

F遺構等:郭・土塁・堀・説明板
G時代/人物:室町期/印東氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  5分
J撮影・訪問時期:2010年08月

  

道案内 

千葉東金道路の山武成東インタを下り、信号を左折し県道76号線に入ります。3.5km先で総武本線の踏切を越えます。踏切から300mで右折し富士見台団地に向かいます。つづら折れの坂道を登ると団地内で、丘先端の道に右折したところに公園の入口があります。麓側からもありますが、行ってないので・・・。

訪城備忘録

そばまで宅地が迫り、二の郭の空堀は半分破壊はされているものの、二の郭南側の空堀及び主郭周囲の土塁、空堀は旧状を留めています。主郭は愛宕神社のある場所、二の郭は城の内と呼ばれる公園となっている場所と推定されます。主郭には二つの虎口の形状が良く残り、土橋も明瞭な形で残っていて見所ですね。

公園碑と堀切跡
歴史

応永年間(1394〜1427年)に千葉氏の家臣の印東四郎が築城したとされます。享禄三年(1530年)に千葉勝胤が成東城を再築し、子の胤定が入って成東八郎と名乗ったようです。天正十八年(1590年)の小田原の役で成東城も落城し、徳川家康が関東に移封された際、成東城には二万石で石川康通が入封しました。慶長六年(1601年)には青山忠成が入封、元和六年(1620年)に青山氏は岩槻城に移封し、成東城は廃城になりました。

二の郭空堀     主郭土塁
現地案内板より    主郭西側虎口土橋
  
二の郭土塁       堀切跡
二の郭南側空堀    主郭南側虎口と土橋
主郭南側空堀 
主郭北側下の腰郭

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