安房 稲村城



ファイルNo2466

前期里見氏の本拠地

                         主郭土塁   

@ いなむらじょう 
  別名 

A住所:館山市稲
B目標地点:九重駅
C形式:山城  D比高:100m 
E現況:山林

F遺構等:郭・土塁・堀切・竪堀・説明板
G時代/人物:戦国期/里見氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  10分

J撮影・訪問時期:2010年05月

  

道案内 

館山自動車道から富津館山有料道路を進み、富津インタで下ります。国道127号線館山バイパスを館山方面に進みます。8km先、南総文化ホール前の信号を左折、国道128号線(外房黒潮ライン)に入ります。5km先、内房線九重駅手前の稲交差点の信号で斜め右手に曲がり、すぐを右折し、踏切を渡ります。(安房グリーンライン)を1kmほど進んだ先を右折した先の山が城跡です。
 
訪城記録

麓の民家脇から尾根に登ります。麓の民家には井戸も残ります。途中の坂道は石垣の壁になってます。尾根まで登ると切通を抜け尾根道を進みます。途中、この地方特有の横穴墓があります。主郭は坂虎口なんでしょうか、それも枡形っぽい感じですが、後世の道がついているのかもしれません。北側にもうひとつ虎口、東側の土塁が残ります。主郭の西下から北側下に廻り込んで進むと連続堀切、二郭など、わりと遺構が残っています。尾根側の中郭周辺は畑地であり、遺構は不明瞭ですが、堀が確認できます。

主郭説明板
歴史

里見氏初代の義実は白浜城を経て文明十八年(1486年)に稲村城を築城したとされます。義実ー義成ー義通と続きましたが、義通が病死、嫡男の竹若丸が幼少であったため、義通の弟の実堯が四代目となりました。竹若丸は成人して義豊となり、天文二年(1533年)に義豊は実堯を自刀に追い込みました。実堯の子の義堯は北条氏の援軍を得て義豊と戦い、翌天文三年に義豊を討ち、義堯が里見氏の当主となり滝田城を本拠としました。この時、稲村城は廃城になったとされます。


堀切                 主郭土塁

  
城道
尾根からの眺望              尾根道 
主郭虎口                もう一方の虎口
堀切
堀切と土橋                 堀切
中郭の堀                 中郭遠望
麓の民家にある井戸                城址遠望   

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