道案内 ←説明板のある駐車場 ←急だけと城跡に近い登り口 |
館山自動車道から富津館山有料道路を進み、富津インタで下ります。国道127号線館山バイパスを館山方面に進みます。2.8km先の那古の信号で左折し県道296号線に入ります。800m先の信号で県道は左折です。左折してから3km先、南房総市役所三芳支所前の信号で左折し県道38号線に入ります。5km先左手滝田神社を越えて100m先に滝田城の看板がありますので、ここを左折し、300mほどで右折、道なりに右カーブし左カーブした先、200m先で右折し山の方に進みます。100m先に駐車場があります。もうひとつの駐車場は山の反対側の鉄塔そばにあります。
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訪城備忘録 |
城跡には下滝田(説明板のある駐車場)からと上滝田の両方から登れますが、遺構は上滝田側斜面に多く、結局私の場合は下滝田から登り、上滝田側に降りました。 駐車場からいったん急坂を尾根まで登ります。中腹の展望台までの間に堀切。竪堀みたいな地形がありますが、遺構から?です。展望台を越えてさらに尾根道を進むと主郭櫓台下の堀切に至ります。尾根側はさほどの段差は無いのですが櫓台との高低差は10mほどありそうです。櫓台を越えて反対に降りると主郭です。思った以上に広いという感じます。そこから上滝田側へ遺構が続きます。主郭を降りると坂虎口状の城門跡があります。その先は二の郭で櫓台だったのか土塁が残ります。さらに斜面に段郭が続き、三日月状の広い郭が麓の上にあります。案内板は武者溜と書いてありました。さらに下に降りるとまた坂虎口状の城門跡があります。斜面には竪堀状の窪みも見えるけどどうなんだろ? この下が館です。山側が一段高くなって土塁が明瞭に残ります、周囲には郭跡が点在しています。館から派生の尾根には馬場とされる広い郭、その先に物見郭(台)があります。馬場から上滝田の登り口がすぐ下に見えます。館から上滝田へ降りるところですが、この虎口、下から来ると正面の土塁にあたり、左右へ上がる構造になっていて、真里谷城の主郭虎口を小型化したような感じです。これも遺構なんだろうか? 城跡は地元の方の案内板設置や草刈で整備され、見学しやすくなってます。
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主郭櫓台の城址碑
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築城時期は定かではないようです。安房里見氏は初代を里見義実とされます。そして八犬伝の話はこの義実から始まります。ただ、義実は架空の人物とも言われているようです。滝田城の史料としての初見は五代の義豊の家臣の一色九郎が城代とされるようです。天文二年(1533年)の里見氏における天文の内乱(義豊と義尭の争い)が始まり、翌年に義豊が敗死し義尭が六代(後期里見氏)となります。天文六年(1537年)には義尭がこの城に居城したとも伝わるようです。天文九年(1540年)には義尭が房総武田氏を駆逐して久留里城に本拠地を移したとされます。
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