上総 佐貫城



ファイルNo2206

房総では珍しい石垣のある城

            本丸手前堀と土橋   

@ さぬきじょう 
  別名 

A住所:富津市佐貫
B目標地点:佐貫中学・宝龍寺
C形式:平山城  D比高:50m 
E現況:山林・畑

F遺構等:郭・堀・土塁・石垣・碑・説明板
G時代/人物:戦国期/真里谷武田氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  登城口から10分

J撮影・訪問時期:2009年07月

  

道案内  ←登城口

館山自動車道の富津中央インタから国道127号線に入ります。2km先、佐貫の信号で右折し県道163号線に入ります。400m先で県道はやや右手にクランクしています。佐貫中学校前を越え、800m先左手に登城口があります。
 
訪城備忘録

まずは、登城口には石垣を伴う櫓台があります。その背後は三の丸で広い平坦地が数段あります。三の丸から堀切を越えて二の丸に進みます。二の丸の標識はありますが藪でなにかなんだがわからんという感じです。主郭手前に大きな横堀が横たわり、真ん中に土橋が明瞭に残っています。きれは規模も大きく見応えあります。夏場の訪城で草木が伸びているため、遺構が見にくかったのが残念ですし、本丸から北東部分部分の遺構を見てません。この城、明治維新まで機能した城ですが、郭、堀の大きさは近世城郭ですが、縄張り、作事は戦国の城という感じで、江戸期は主要部は使用されていなかったんでしょうかね?

本丸虎口
歴史

応仁年間(1467〜68年)に(真里谷)武田義広によって築かれたとされます。天文六年(1537年)に真里谷氏の跡目争いがあり、真里谷信隆が佐貫城にあり、それを真里谷信応が攻めて落城させます。これは北条氏と里見氏の争いの始まりであり、天正十八年(1590年)まで断続的に続いたものです。この年、里見氏は安房一国とされ、内藤家長が入封しました。その後、松平氏、柳沢氏が城主となり、元禄七年(1694年)に柳原吉保が川越に移封され一時廃城になりましたが、宝永七年(1710年)に阿部正鎮が入り再興され明治維新まで続きました。

大手櫓台と城址碑    本丸手前堀
 現地説明板より     尾根先端、物見?からの眺望
  
大手櫓台石垣     三の丸
二の丸        本丸
空堀       物見への尾根

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