下総 佐倉城



ファイルNo2043


                       本丸     

@ さくらじょう 
  別名 

A住所:佐倉市城内町
B目標地点:国立歴史民族博物館
C形式:平山城  D比高:40m 
E現況:公共施設・公園・宅地

F遺構等:郭・土塁・堀・説明板
G時代/人物:戦国期・江戸期/千葉氏・土井氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  駐車場から10分

J撮影・訪問時期:2009年03月・2010年09月

  

道案内 

東関東自動車道の佐倉インタを下り、佐倉インタ入口を右折し県道65号線を進みます。5.5km先新町の信号の手前の信号を左折し市民体育館、佐倉東高校側から入るか、新町の信号から1.5km先の歴史博物館の信号を左折し国立歴史民俗博物館の駐車場から西側歩いて行くと本丸です。
 
訪城コメント

現在の残る城跡は江戸期のものでありながら石垣はない土の城です。しかしながら、各郭は広大で、民博側の馬出し、西側麓の出丸も広く、麓の一直線の土塁は見事です。本丸は土塁は高く、堀は深く、規模は近世城郭ですな。本丸の空堀が木々で見通しが悪いのは少し残念ですが、それもそのまま残すという事では致し方ないでしょう。

復元馬出の堀
歴史

天文年間(1532〜55年)末頃、本佐倉城主の千葉親胤(千葉氏二十六代)が鹿島幹胤に命じて築城を開始されたとされますが、弘治三年(1557年)に暗殺されたため工事は中止になったとされます。千葉邦胤(千葉氏二十九代)も築城をしましたが、邦胤も天正十三年(1585年)に暗殺され、築城は中止になったとされます。慶長十五年(1610年)に三万二千石で入封した土井利勝によって築城を開始し元和二年(1616年)に完成させました。土井利勝は幕閣として活躍し十四万二千石までになっていましたが、寛永十年(1633年)に古河へ移封、その後、藩主はめまぐるしく変わりましたが、延享三年(1746年)に堀田正亮が山形より十万石で入封し(のちに十一万石)、堀田家が明治維新まで続きました。


本丸の空堀                    本丸土塁

現地案内板より             本丸土塁櫓台
二ノ門付近                    土塁
本丸土塁

麓の遺構
南の出丸水堀                水堀
麓の一直線の土塁
南の出丸内と土塁
北の出丸内と土塁
帯郭                本丸空堀

             近くの城・関連の城: