甲斐/ 躑躅ケ崎館



ファイルNo1565


                            

@ つつじがさきやかた 
  別名 

A住所:甲府市古府中町
B目標地点:武田神社
C形式:平城  D比高:−−m 
E現況:神社・宅地

F遺構等:郭・堀・土塁・碑・説明板
G時代/人物:室町期/武田氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  5分

J撮影・訪問時期:2002年01月・2010年2月

  

道案内  

中央自動車道の甲府南インタを下り、甲府南インタ口の信号を左折し国道358号線に入ります。14km先が甲府駅前です。手前の甲府警察署前の信号で右折し、150m先の甲府警察署東の信号で左折し県道31号線に入ります。右手甲府城を見ながら中央本線の陸橋を越えると山梨文化会館前の信号を左折し、100m先の甲府駅北口の信号を右折します。JR甲府駅北側の県道31号線(武田通り)をまっすぐ2.5Km行ったところが武田神社です。神社前に駐車場があります。

訪城備忘録

武田神社は武田氏の居館で有名ですね。本殿のある場所は、中郭と東郭を使った敷地に建っています。武田氏滅亡後、徳川氏の城として、改修された部分が大きいですが、中心部を巡る堀と土塁、中心部と西郭を隔てる堀、中心部の東側(大手門)虎口、西側虎口など、思ったより残っているという印象です。また、大手門外側では発掘調査後の丸馬出しと三日月堀が復元されていました。

歴史

永正十六年(1520年)に甲斐守護の武田信虎が築城し、石和より移り、以後、信玄、勝頼と武田氏3代の居館となりました。その間、信虎の嫡男の晴信(信玄)が大永元年(1521年)生まれ(正確には要害山城で生まれたとされています。)、天文十年(1541年)に晴信は父の信虎を駿河に追放などなど、天正九年(1581年)に勝頼が新府城に本拠を移しました。天正十年(1582年)に武田勝頼が自刀して武田氏が滅びた後、徳川氏が天正十一年(1583年)に甲府城を築城するまで、躑躅ケ崎館を改修して天守台などを築いています。

  
東の大手門土橋                東の馬出(復元)
水堀                     西虎口土塁
中心部と西郭の間の堀           北側から西郭を見る
馬出と三日月堀(復元)
館の北側から要害山方面遠望             神社内の能舞台   

近くの城・関連の城:要害山城 熊城