武蔵 鉢形城



ファイルNo1557


                        2001年撮影    

@ はちかたじょう 
  別名 

A住所:大里郡寄居町鉢形
B目標地点:
C形式:丘城  D比高:60m 
E現況:公園、畑・公共施設

F遺構等:郭・堀・石垣・碑・説明板
G時代/人物:戦国期/北条氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  秩父曲輪駐車場から10分

J撮影・訪問時期:2001年09月・2009年10月

  

道案内 

関越自動車道の花園インタを下り、国道140号線を寄居方面に進みます。5km先、中小前田の信号を左折し県道298号線に入ります。600m先の信号で県道は左折、中小前田から2.2kmの信号で左折し、県道30号線に入ります。600m先で荒川を渡り、渡ってすぐの信号を右折すると城跡真ん中の道路になります。800mほど直進したところ(途中、道は右にカーブしてますが、公園内へ直進してください。)、伝秩父曲輪前に駐車場があります。
訪城備忘録

2009年に八年ぶりに再訪しました。2001年当時は復元工事が始まったくらいの頃でしたが、2009年は一応の発掘整備は終わった後でした。伝秩父曲輪は綺麗に整備され発掘調査に基づいた門の復元、石垣の積み直し、馬出の堀の整備などがされていました。石垣は川石で丸いため、なにか偽物のような感じがしますが、発掘調査の結果から河川石を使用していた事がわかります。逸見曲輪の弁天社堀側の斜面に古い石垣が少し露出していましたが、これも遺構なんだろうか? 深沢川の反対側、鉢形城歴史館の周辺の外曲輪にも土塁・堀が残っています。全体的には綺麗に整備された歴史公園という感じで、戦国に名をはせた城という荒々しい感じは薄れています。

2001年撮影
歴史

文明八年(1476年)に山内上杉氏の重臣の長尾景春が築城したとされます。その後、藤田康邦が支配し、康邦(重利)は山内上杉氏から北条氏康に従い、氏康の三男の氏邦を婿に迎えました。永禄十一年(1568年)頃、氏邦は鉢形城に本拠を移しました。天正十八年(1590年)、豊臣氏の小田原城攻めの際に落城したとされます。

主郭      2001年撮影      城址碑
2009年撮影
三の郭<秩父郭>門(復興)         三の郭石垣(積み直し)  
三の郭全景(整備後)            馬出の堀(復元)
二の郭
主郭土塁                 主郭下郭
二の郭端(深沢川側)                外郭  
  外郭土塁                 逸見郭下弁天社堀
馬出                   逸見郭
  
2001年撮影                   城跡遠景

近くの城・関連の城: