武蔵 川越城



ファイルNo1555


                        本丸御殿    

@ かわごえじょう 
  別名 城 

A住所:川越市郭町2丁目
B目標地点:市立博物館
C形式:平城  D比高:−m 
E現況:市街地

F遺構等:本丸御殿・櫓台・堀
G時代/人物:戦国期/太田氏
H満足度: 凸+☆
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  川越駅から徒歩で40分

J撮影・訪問時期:2001年09月・2012年05月

  

道案内 ←本丸御殿  ←富士見櫓跡

関越自動車道の川越インタから国道16号線をさいたま市方面に進みます。10km先、小仙波の信号を左折し国道254号線に入ります。1.6km先の博物館入口の信号を左折した先の左手が御殿です。(東武東上線の川越駅から喜多院を廻りながら3km先、西武新宿線の本川越駅から蔵の町並みを歩きながら1.2km先の札の辻の信号で右折し、1km先が本丸御殿です。)
 
訪城備忘録

2001年以来10年ぶりに川越を歩いて見ました。川越城は本丸御殿が唐突に残っているのですが、城域はほとんどが市街地になってしまい、富士見櫓跡の丘と中の門の堀がわずかに城郭の痕跡として残っています。喜多院は堀が巡り城郭に見えます。また、ここには徳川家光の誕生の間と呼ばれる客殿と春日局の化粧部屋と呼ばれる書院が江戸城から移築されています。これは、寛永十五年(1638年)の川越大火の後、家光が江戸城の御殿の移築を命じたとされます。客殿は城の上間という感じが確かにします。

富士見櫓の碑
歴史

長禄元年(1457年)に太田道真(資清)、道灌(資長)親子が築城したとされます。天文六年(1537年)に北条氏綱が川越城を奪い、天文十四年(1545年)に有名な河越夜戦となるわけですが、これは北条綱成が守る川越城を山内上杉憲政、扇谷上杉朝定、古河公方足利晴氏が八万の軍勢で囲んだもので、その救援に駆けつけた氏康の八千が夜間奇襲をし、八万の軍勢に大勝、朝定は討死したという戦いでした。天正十八年(1590年)に北条氏が滅亡し、徳川家康が関東に入封、川越には酒井重定が一万石で入いったのを始め、江戸期は頻繁に藩主が変わりながら明治維新まで続きました。

富士見櫓                   中ノ門堀
客殿       喜多院        堀
本丸御殿
  
河越夜戦地(東明寺)
大澤家住宅     川越蔵の町       時の鐘
現地案内板より             2001年撮影

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