肥前/ 唐津城



ファイルNo1948


                          模擬天守  

@ からつじょう 
  別名 鶴舞城

A住所:唐津市東城内
B目標地点:鶴舞公園
C形式:平山城  D比高:40m 
E現況:公園・学校・宅地など

F遺構等:郭・石垣・堀・碑・説明板
G時代/人物:江戸期/寺沢氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの本丸までの所要時間:
  公演駐車場から10分

J撮影・訪問時期:2008年09月

  

道案内 

福岡市内から高速1号線で西に向かいます。福岡前原道路から国道202号線を経由し国道202号線のバイパスの今宿バイパス・二丈浜玉道路を通ります。国道202号線唐津バイパスに入ります。7km先で唐津大橋を越えます。大土井の信号で右折し国道204号線旧道に入ります。1.8km先の東町の信号で右折し橋を渡り、東唐津の信号で左折します。900m先の右手が城跡で、左手に駐車場があります。

訪城備忘録

海に突き出した満島山に本丸を置いた平山城ですが、山すそ周囲は石垣で固められ、北側は海水が石垣を洗っていて海城という感じです。天守は寺沢氏の築城時に天守台のみ作られたようで、天守は無かったようですが、現在は模擬天守が建っています。これがなかなか大きな天守で、遠くからも一望できます。この唐津城は平地に二の丸、三の丸などがあったのですが、海沿いに200mほど石垣が残り、二の堀や市役所前には肥後堀と石垣も残っていて、市街地にも遺構が楽しめる城でした。

本丸上段と城址碑
歴史

文禄四年(1595年)に寺沢広高は豊臣秀吉より、この地に封じられ、関が原の戦いでは東軍に与し、十二万三千石に加増され、慶長七年(1602年)に唐津城を築城を開始し、慶長十三年(1608年)に完成させました。広高の子の堅高は島原の乱の失政で正保四年(1647年)に自殺し、寺沢家は断絶、その後、大久保氏、(大給)松平氏、土井氏、水野氏と城主が代わりましたが、文化十四年(1817年)には小笠原長昌が陸奥棚倉より六万石にて入封し明治維新まで続きました。

海に突き出した石垣
−                      二の堀
−                       肥後堀(市役所前)
  
本丸よりの眺望                 現地説明板より

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