豊後/ 騎牟礼城



ファイルNo1670

                            

@ きむれじょう 
  別名 騎牟礼群城、鎮西城 

A住所:竹田市会々〜飛田川 
B目標地点:国道沿いの騎牟礼公園の案内板 
C形式:山城  D比高:40m 
E現況:公園・山林 

F遺構等:角・土塁?・堀切? 
G時代/人物:鎌倉・戦国期/源氏・志賀氏
H満足度: 凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  堀切から5分

J撮影・訪問時期:2007年02月

  
郭跡?

【道案内】 

竹田市内から国道57号線から国道442号線に入り、久住高原方面に進みます。竹田中学から600mほど進んだ左手に「騎牟礼城址公園」の案内板がありますので、そこを左折し、民家が切れた先で右折し斜面を登ります。登りきると、堀切跡のような箇所に駐車します。

 


【現況・訪城記録】

岡城から国道442号線を久住高原に向かって進んでいましたら、左手に案内板が見えましたので寄ってみました。主郭下のところまで車で登れます。尾根先端側に登ると土壇のような盛り上がりのところに説明板があり、その際は広い平坦地ですが、城跡という感じではなく、公園という感じです。説明板には郭を堀切で隔て、5つの郭があると書かれていますが、尾根側にも少し登ってみましたが、木が伐採されている箇所を含め、城跡という感じではなかったです。車を止めたところが堀切という感じでしょうか。


【歴史】
久安二年(1150年)から久寿二年(1156年)まで、源鎮西八郎為朝が砦として使用したという史料があるようです。大友氏の分家の志賀氏が応安二年(1369年)頃、直入郡に入った際に、最初はこの城に入ったともいわれているようです。その後、岡城に移った志賀氏の支城として機能し、天正十四年(1369年)には志賀親次が島津軍を撃退した際の岡城の防衛拠点であったようです。また、明治十年(1877年)の西南戦争でも陣地として使用されたようです。 <現地説明板より>


  
主郭背後の堀切?
  
尾根側
  
  

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