豊後/ | 岡城 |
ファイルNo1669 |
近世総石垣の山城
@ おかじょう |
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【道案内】 ←国道の城跡入口 東九州自動車道の大分光吉インタから国道442号線で40Km先の竹田に向かうか、大分米良インタから国道10号線で進み、20Km先の犬飼で国道57号線に入り、30Km先の竹田に向かう、あるいは、国道10号線野津(臼杵市)から国道502号線に入り、三重・緒方(豊後大野市)を経由して竹田に向かいます。国道502号線新道の新清瀬橋と七万石トンネルの間に岡城駐車場に向かう誘導路がついています。無料駐車場(総役所跡)から入城料の300円を払い、巻物風のパンフをいただいて大手門から進みます。 【訪城備忘録】 念願の岡城という感じで訪城しました。山上に続く石垣に興奮し、三の丸北面の高石垣は圧巻でした。中世城郭を馬蹄形に城域を拡張して総石垣の石垣となったいう感じで、西の丸を中心とする周辺は郭の広く、近世的な縄張りですが、本丸周囲は尾根上がやや幅が狭く、城域の厚みに少々欠けるなぁという感じではありました。そんな細かな事は言いっこなしですかね すばらしい総石垣の山城には間違いないのですから。 【歴史】 文治元年(1185年)に緒方三郎惟栄が築城したと伝えられます。南北朝時期に大友氏の分家の志賀貞朝が修築したとされます。その後、志賀氏は直入郡に進出し、騎牟礼城に入り、のち、岡城に移り、志賀氏の居城となりました。天正十四年(1369年)には志賀親次が島津軍を撃退したと伝われます。文禄二年(1593年)に大友義総が改易されると、志賀氏は岡城を退去しました。文禄三年(1594年)に播州三木より中川秀成が入城、大改修を行い、本丸は慶長元年(1597年)に完成しました。以後、中川氏七万石の居城として、明治維新まで続きました。 |
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