豊後/ 佐伯城



ファイルNo1667

             三の丸櫓門(現存)  

@ さえきじょう 
  別名 鶴屋城 

A住所:佐伯市西谷(城山)〜大手1丁目(三の丸) 
B目標地点: 
C形式:(平)山城  D比高:110m 
E現況:公園・山林 

F遺構等:郭・石垣・櫓・碑・説明板 
G時代/人物:江戸期/毛利氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  三の丸から15分

J撮影・訪問時期:2007年02月

  
廊下櫓から二の丸

【道案内】  ←三の丸櫓門

国道10号線で進んだ場合、番匠大橋(番匠の信号)で国道217号線に入ります。5Km先の信号で国道はやや左方向に進みます。ここから400m先が大手前の信号で、ここを左折し、突き当たり左手が公園駐車場、正面が三の丸櫓門です。櫓門前で右折し進むと、武家屋敷の通りになります。



【訪城備忘録】

麓に三の丸がありますから平山城という事になりますが、山上部は山城として独立した感じです。三の丸横から山上への道があります。少年野球のトレーニングや健康のために歩かれる方など、休日の城跡は市民のためという感じでした。山上部分は本丸を中心に北の丸と二の丸・西の丸の両側へ展開し、確かに鳥が羽を広げているという感じです。全体的には大城郭に比べれば小粒といわぜるをえませんが、せいいっぱいの普請を感じる城跡でした。


【歴史】
慶長六年(1601年)、毛利高政が日田から佐伯に入封しました。翌年に山上に築城を開始し、慶長十一年(1606)に竣工しました。二万石の城にしては三重の天守を持ち、堂々とした城であったようです。元和三年(1617年)の火災で焼失し、再建はされずに、寛永十四年(1637年)に麓に三の丸を築いてここを居館としました。毛利氏は明治維新まで続きました。


  
本丸外曲輪櫓石垣
  
二の丸渡櫓石垣
  
  

近くの城・関連の城:

          

現地案内板より
   本丸石垣     北の丸より本丸方向
   冠木門そば城址碑      城跡遠望(番匠川対岸より)
三の丸櫓門内側から      三の丸石垣