豊後/ 臼杵城



ファイルNo1666

      畳櫓   

@ うすきじょう 
  別名 

A住所:臼杵市臼杵丹生島 
B目標地点:臼杵公園 
C形式:平山城  D比高:40m 
E現況:公園 

F遺構等:郭・櫓・石垣。堀・碑・説明板 
G時代/人物:戦国・江戸期/大友氏・稲葉氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  臼杵公園駐車場から5分

J撮影・訪問時期:2007年02月

  
大門櫓(復興)

【道案内】  

東九州自動車道の臼杵インタを下り、右折し国道502号線に入ります。2Km先の土橋の信号を直進して県道33号線を進みます。1.6Km先の中須賀橋東の信号で右折し、200m先の信号で再度右折します。200m先左折で正面に大門櫓と畳櫓が見えます。(ここを右折すると右手は稲葉家下屋敷です。)左折し、100m先の土橋前でまた左折し進むと右手に臼杵公園に登る道があります。または、稲葉家下屋敷前の市営駐車場に駐車し、散策もいいかもしれませんね。

  


【訪城備忘録】

訪城時は古橋・古橋門から鐙<あぶみ>坂・大門櫓まで、また、卵寅口櫓とその周辺石垣が修復工事中でしたので近づけませんでした。印象としては想像していた以上に残っている城跡という印象でした。修復なった後は、大門櫓・畳櫓を正面にしての岩山の異様さと石垣はいい景色でしょうなぁ。
大分県は城下町に武家屋敷が残る町が多いです。中津・杵築・佐伯・竹田そしてここ臼杵にも城主稲葉家の下屋敷をはじめ、家老屋敷の長屋門あるいは200石の家臣の住宅(丸毛家)などが残っています。町の中を廻りましたが、道が狭かったです^^;


【歴史】

大友宗麟が、永禄五年(1562年)に四方を海に囲まれた天然の要塞であった丹生島に丹生島城(臼杵城)を築きました。天正六年(1578年)の耳川の合戦で島津氏に大敗し大友氏は衰退しました。そして、天正十四年(1586年)に臼杵城は落城しました。その後、福原氏、太田氏を経て、慶長5年(1600年)稲葉貞通が美濃から5万石で入封し、明治維新の廃藩置県を迎えるまでの270年あまり、稲葉氏が続きました。稲葉貞道は稲葉一鉄の子です。


  
  
大門櫓と畳櫓
  
  

近くの城・関連の城:

          

現地案内板より
本丸堀切・向こう側天守台     本丸堀切と石垣  
稲葉家下屋敷