豊後/   豊後高田城



ファイルNo1664

      石垣  

@ ぶんごたかだじょう 
  別名 高田城・高田陣屋 

A住所:豊後高田市玉津
B目標地点:市立図書館中央公民館・高田高校
C形式:平山城  D比高:20m 
E現況:公共施設・市街地

F遺構等:郭・石垣・土塁・堀
G時代/人物:鎌倉期〜/高田氏・竹中氏・松平氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  1分

J撮影・訪問時期:2007年02月

  

道案内  

宇佐市内から国道10号線で進みますと、岩崎の信号で国道10号線は斜め右ですが、斜め左の方、国道213号線に入ります。6Km先、桂川を恵比須橋で渡り、その信号で右折します。桂川沿いに進み、500m先の桂橋の袂の信号を越え、200m先で左折します。商店街を抜けると右手が高田中学です。中学を右手のところで左折して進むと、突き当りが桂陽小学校です。ここを左折した小学校の隣が中央公民館です。高田中学のところでまっすぐ行くと右手から高田高校の手前まで堀跡が相当広範囲に残ります。  

訪城備忘録・歴史
堀跡

中央公民館の周囲の石垣は竹中氏時代に築城された高田城の石垣です。石段の登り口に説明板と公民館の駐車場に城址碑があります。桂陽小学校の北側にコの字に水堀があります。高田中学の北側が新屋敷と言うようです。この北側に北に向かって200m、西に向かって高田高校の南側まで200m、さらに北へ50mほどの広範囲に堀跡・土塁が残っていました。



建久七年(1196年)に豊後守護となった大友能直によって家臣の高田掃部助重定がこの地に配され、高田城を築いたのが始まりです。文禄二年(1593年)に大友義総が改易され、高田氏も城を退去しました。この地には竹中重利(竹中半兵衛の従兄弟)が入城し大改修しましたが、慶長六年(1601年)に府内城に転封となり、寛永十六年(1639年)に豊前安心院より松平重直が入り、城を修築いました。正保二年(1645年)に重直の子の松平英親は杵築に転封となり、寛文九年(1669年)よりは島原藩領となり、城跡に陣屋を構え、以後、明治維新まで続きました。


土塁・堀跡
  

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