豊前/ 副城



ファイルNo1661

小ぶりの城ながら横堀の発達・屈曲の虎口など、戦国後期の遺構が残る

         主郭土塁   

@ そいじょう 
  別名 

A住所: 宇佐市院内町副
     旧:宇佐郡院内町上副
B目標地点:道の駅いんない・平成の森公園 

C形式:平山城  D比高:20m 
E現況:公園・雑木林 

F遺構等:郭・堀切・畝状竪堀・土塁・説明板 
G時代/人物:戦国期/副氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  5分

J撮影・訪問時期:2007年01月

  
堀切

【道案内】 

宇佐別府道路の院内インタから国道387号線に出て南下します。(あるいは安心院インタを出て左折し県道42号線に入り、旧安心院役場前で右折し2.5Km先の二日市の信号で左折し国道387号線に入ります。)二日市の信号から3.5Km先左手が道の駅いんないです。この隣に平成の森公園へも道があり左折して進みます。左折してすぐの右手尾根先端が城跡です。すぐ右手に説明板と石組みの井戸跡がありますが、もう少し登ると、もう一箇所説明板があり、ここは車も止めやすく、城域に入りやすいです。

 


【訪城備忘録】

平成の森の手前、尾根先端に見張り台風展望台が見えます。この先端部が城跡です。整備され見学しやすくなっています。小ぶりな城ですが、城のパーツは明瞭で、主郭南側尾根に二重の堀切を備え、南東斜面には畝状竪堀が見られます。主郭周囲を横堀(堀底道のようです)が巡り、折れのある城道になっています。主郭は周囲を土塁が巡り、南側に櫓台跡の高い土塁が残ります。主郭の北側の一段下がったところが二の郭で、斜面を削り込んで作られたようで、東側の削り残しの土塁は明瞭です。ここに虎口もあり、虎口には石積みの痕跡も残ります。


【歴史】

但馬国出石から流れて来た副氏が天文年間(1532〜55年)に築いたと言われています。一説には副甲斐守が九州に下り、戦功によりこの地を拝領し、永禄元年(1558年)に副越中守鎮安が城主であったと伝わります。また、史料には宇佐36人衆に副但馬守の名があります。永禄九年(1566年)に田原紹忍の家臣によって副城が焼かれ、天正九年(1581年)には大友氏の家臣大津留左京進によって副越中守宗澄は攻略され、さらに、一族は天正十六年(1588年)には中津城主となった黒田孝高(如水)に降ったと伝えられます。<現地案内板より>

  
堀切
  
主郭下横堀(登城道?)
  
  

近くの城・関連の城:

          

現地案内板より
畝状竪堀       主郭櫓台
二の郭虎口(石積み有り?)    二の郭土塁