豊前 高家城



ファイルNo1619


      土塁   

@ たけいじょう 
  別名 中島城

A住所:宇佐市東高家字堀添
B目標地点:金剛頂寺・高家小学校 
C形式:平城  D比高:−−m 
E現況:宅地・寺・雑木林 

F遺構等:土塁・堀 
G時代/人物:室町期/中島氏
H満足度: 凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  貴船神社前より1分

J撮影・訪問時期:2006年10月

  
土塁

【道案内】 

中津市方面から国道10号線で来ると、宇佐市佐野の信号で国道213号線(旧10号線)と県道629号線が交わる、変則交差点に至ります。ここで左折し、県道629号線に入ります。4Km先の時枝の信号を左折し、100m先の二股道を右手に進み、1Km先の左手の芝原善光寺、右手の北部中学を越え、400m先でJR日豊本線を渡ると、蓮照寺が右手にあり、その先、右手に金剛頂寺があります。(あるいは、県道23号線で中津より柳ヶ浦方面に向かって来ると、下高家下中で右折し、600m先が高家小学校、さらに、300m先が貴船神社です。)

  


【訪城備忘録】

実のところ城跡を確信できたわけではありません。金剛頂寺より北側が字古殿という場所で、資料では城跡のあるところは字堀添となっていて、この字名の箇所は特定できませんでしたが、いずれにしてもこの古殿周辺ではあると思います。高家小学校北側の集落の公民館は古殿公民館となっています。金剛頂寺の北側に貴船神社があり、この前の茂み(金剛頂寺に隣接した北側)に入ってみると、土塁が東西に続いていて、なおかつ奥に空堀、北側に虎口形状を持った土塁及び平坦地を確認できます。この土塁・空堀形状は、金剛頂寺の関連地形なのかもしれませんが。また、金剛頂寺の南側の蓮照寺から東に集落内を進むと土塁で方形に囲まれた竹薮などがあります。さらに、大石氏発祥の地(寿福寺観音堂跡)という石碑がありました。これは、この土地にどういう関連があるのか判りませんです。ただ、鎌倉五山の一つに寿福寺もありますが、全国の寿福寺という名称を持つ寺は、宇佐神宮(八幡宮)との関係がなにかありそう(神社と寺で関係あるちゅうのも変かな^^;)で、昔、氏を調べた時に、大石氏という名前は渡来人を発祥としている一族がいるとあったので、ここの大石氏というのはそういう事なんかもしれないな・・。って城とは関係ない?・・・。

【歴史】

中島氏の居城と伝わります。史料には、中島宣長、中島統次の名が見え、統次は天正十三年(1585年)に時枝城を攻め、落城させています。しかしながら、天正十五年(1587年)に黒田孝高(如水)が中津に入り、この周辺の土豪を従える中で、天正十七年(1589年)に高家城は黒田氏に攻められ落城したと伝われます。


  
虎口形状
  
空堀
  
  

近くの城・関連の城:

          

大石氏発祥地の碑           集落内の土塁