豊前 時枝陣屋



ファイルNo1616

旗本小笠原氏の陣屋

                通りにある城址碑と標柱   

@ ときえだじんや
  別名 

A住所:宇佐市下時枝
B目標地点:芽豆羅保育所 
C形式:平城  D比高:−−m 
E現況:宅地 

F遺構等:石垣・碑 
G時代/人物:江戸期/小笠原氏
H満足度: 凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  1分

J撮影・訪問時期:2006年10月

  
石垣の上の植え込みの中にある城址碑

【道案内】 

中津市方面から国道10号線で来ると、宇佐市佐野の信号で国道213号線(旧10号線)と県道629号線が交わる、変則交差点に至ります。ここで左折し、県道629号線に入ります。4Km先の時枝の信号を左折し、100m先左手の保育園の向かいが陣屋跡です。

 



【訪城備忘録】

時枝の信号から豊前善光寺に向かって進んだ100m先、道路がY字二股に分かれるところの左手に小さな城址碑と標柱が立っています。今は個人の家のようです。標柱の横には石垣が見えており、陣屋の石垣が残っているようです。この石垣の上部、植え込みの中にも城址碑がもうひとつありました。


【歴史】

元禄七年(1694年)に 中津藩主 小笠原 長胤(ながたね) は 弟の長宥(ながます) に5000石を分与しましたが、これは新田からの形式上の分与で、実際の領地は定めなかったようです。元禄十一年(1698年)に長胤は失政と乱行から領地を没収され、改めて末弟の長円に半分の4万石が与えられました。元禄十二年(1699年)に長宥には時枝領5000石が定められ、旗本として正式に認められました。本家の小笠原氏は正徳三年(1711年)に無嗣断絶しましたが、時枝小笠原氏は初代小笠原長宥から七代続き明治維新まで続きました。


  
石垣
  
  

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