豊前/ 高森城



ファイルNo1578

宇佐では光岡城に次ぎ、良好な遺構が残る

                          空堀から土塁を見る  

@ たかもりじょう 
  別名 宝森城

A住所:宇佐市高森 
B目標地点:県立歴史博物館・城山神社
C形式:丘城  D比高:20m 
E現況:雑木林・田畑 

F遺構等:郭・堀・土塁・碑 
G時代/人物:鎌倉・戦国期/加来氏・黒田氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  県道より2分

J撮影・訪問時期:2000年11月・2006年10月
             2017年01月

  
城址碑
(後方茂みに土塁と空堀)

【道案内】 

中津市から国道10号線で来ると、駅館川の瀬社橋手前の法鏡寺の信号で左折し、県道44号線に入ります。1.2Km先の右手が宇佐市役所、さらに、400m先で道は二股で右手方向に県道44号線を進みます。3Km先の信号で右折しm県道629号線に入り、駅館大橋で駅館川を渡ります。渡ると坂を登りますが、この右手が城跡で、坂を登り終わった右に城址碑が立っています。(あるいは国道10号線の法鏡寺の信号をさらに2Km進んだ北宇佐の信号で左折し県道215号線に入ります。3.2Km先の高森の信号で左折し、県道629号線に入って300m先の左手に城址碑があります。)

 


【現況・訪城記録】

城は駅館川の河川段丘の先端に位置します。県道629線で城域が分断されていますが、県道の両側に空堀・土塁が残っています。城址碑と所から県道に沿って農道がありますので、そこを100mほど進んだ茂みに入ると、幅5mほどの空堀とそれに伴う土塁が南に続いています。ここから県道の反対側のところも、空堀が確認できます。


【歴史】

鎌倉初期の元暦元年(1184年)、緒方惟栄が築城し、一族の加来綱平を入れました。以後、加来氏の居城となります。天正十七年(1589年)に黒田氏に攻められ、城主 加来彦次郎 は自刀、その後、 黒田兵庫頭 が城代として入りましたとされますが、天正十五年(1587年)、黒田孝高(如水)の弟の利高が以前よりこの地にあった小領主の居館を大改修築城し、ここに入ったともされます。慶長五年(1600年)の関が原の戦い時期にも陣城として使われたようです。


   
  
空堀
  
発掘調査のトレンチ?
  
現地案内板より
ニ郭の土塁             主郭の土塁
主郭と二郭の間の空堀
  

近くの城・関連の城:上田城