豊後 /  杵築城



ファイルNo1577

                        模擬天守    

@ きつきじょう 
  別名 木付城・台山城・臥牛城・勝山城 

A住所:杵築市杵築
B目標地点:市民会館・城山公園
C形式:平山城  D比高:30m 
E現況:公園・市街地

F遺構等:郭・堀・石垣・復興天守・説明板
G時代/人物:室町期/木付氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  8分

J撮影・訪問時期:2001年03月

  

道案内 

国道10号線の赤松の信号(日出町藤原)で県道644号線に入り、2.2Km先のJR杵築駅を通過し、6Km先で大分空港道路の杵築インタから下りてからの県道49号線に合流します。3Km先(国道213号線の塩田の信号の400m手前)を右折し、300m先を左折、杵築中央病院を過ぎて登ると、市民会館・神社付近に至ります。その先が城跡です。
 
 
訪城コメント・歴史

江戸期は天守付近は使用されていなかったという事で、石垣が僅かに残りますが、これといった遺構がないなぁというのが実感でした。街中には武家屋敷群が残っており、城跡よりこちらの方が見応えありそうです。

大友親秀の六男の親重が建長二年(1250年)にこの地に封じられて木付氏と名乗りました。 この城は明徳四年(1393年)、木付頼直が築城し、代々、木付氏の居城であった。天正15年(1587)には十六代の鎮直が島津家久の攻撃に耐え、撃退している。文禄2年(1593)に主家の大友氏が改易となり木付氏も滅んだ。その後、前田玄以・杉原長房などが城主として入り、慶長4年(1599)に細川忠興が中津城主になると、杵築城は細川氏の家臣の松井氏などが城代となった。寛永9年(1632年)、細川氏が肥後に移封となり、松井氏も八代に移り、小笠原忠知が6万石で入封、正保2年(1645)には松平英親が3万7千石で入封し、以後、松平氏が明治維新まで続いた。杉原氏時代に地震、暴風の影響もあって居館は山麓に移され、松平氏時代に入り、山上にあった建物は取り壊され、その後、江戸期を通じて山上は使用されなかった。


石垣

  

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